東急シアターオーブにて2019/6/10から城田優さん主演で絶賛上演中のミュージカル『ピピン』
初日に観劇してきました。(観劇レポはコチラから!)
作品自体は子供でも容易に理解できるわかりやすいストーリー。一見するとかなりのハッピーお気楽ミュージカル。がしかし、実は意外と深い設定とメッセージ性が秘められています。
そこで今回は『ピピン』の舞台設定や作品背景、豆知識をまとめました。
もくじ
掘れば掘るほど面白い作品設定
まず、公式のストーリー紹介はこちら。
一座が披露するのは、若き王子ピピンの物語。
大学で学問を修めたピピンは、人生の大いなる目的を模索していた。
広い空のどこかに自分の居場所はあるのかと自問し、輝かしい未来を夢見ていた。
父・チャールズ王が統治する故郷に戻ったピピンだが、義母ファストラーダや貴族、
廷臣ら取り巻きに邪魔され、父親となかなか触れあえない。
戦を控えたチャールズは、ファストラーダとの間に生まれたルイスら、
兵士たちの戦意を奮い立たせていた。
父に認めてもらいたいピピンは、戦への同行を志願する。
しかし、ピピンは戦の空虚さに気付き、もっと別の<特別な何か>を求めて旅に出る。(公式サイトより引用)
簡単にまとめると、一国の王子が人生の意味を探そうとして旅の中で様々な人と出会い、経験をし、成長していく物語。これだけ見ると、かなりありきたりな印象を持たざるをえない。
登場人物は全員明るく愉快なキャラクター達で、子供から大人まで楽しめる構成になってます。しかし、前述したとおり調べれば調べるほど深い設定と作品背景があります。
実は、作品の背景にはベトナム戦争の存在があります。
ベトナム戦争中に生まれた作品
現在上演されているバージョンはダイアン・パウルスによってリバイバルされたサーカスの要素をふんだんに取り入れたバージョンですが、1972年の初演版はベトナム戦争中の作られました。
そのため、戦争の恐怖を忘れられずに引きずっていたり、人生に何らかの意味を見出そうともがく青年たちに向けてのメッセージ性や反戦の要素がかなり濃いのです。
リバイバル版では反戦メッセージはかなり薄いですが、作中でピピン王子は「戦争に行って英雄になれ!」と周囲に鼓舞されていざ戦場に繰り出したものの、待っていたのは空しさと無意味さだけ・・・というシーンがあります。
実際にベトナム戦争も「戦争に行こう、君も英雄になれる!名誉ある死を恐れるな」と、若者たちを甘い言葉で誘って入隊させようとしていたんですよね。
時代は神聖ローマ帝国
ベトナム戦争という当時の時代背景に大きく影響されている本作ですが、『ピピン』の登場人物たちは8世紀の神聖ローマ帝国がモデルになっています。いまから約1300年前。
ピピンの父親は「ヨーロッパの父」の異名を持つカール大帝。神聖ローマ帝国の初代皇帝であり、最大領土は現在のヨーロッパのほとんどの国にまたがるほどの広大な帝国を築きあげました。
そして、実際のカール大帝には5人の妻と20人の子供たちがおり、ピピンと言う名の息子もおります。そして、作中でも描かれている通り謀反を企てようとしていました。
その他の登場人物にもモデルと思われる遠からず近からずの実在の人物がおります。メインビジュアルからは完全なファンタジーの世界を彷彿とさせますが、少なからず史実の要素も含まれているのです。
神聖ローマ帝国は侵略に侵略を繰り返しながら領土を拡大していきました。異教徒たちを討伐し、武力で制圧したカール大帝。
王子という設定であれば別にわざわざカール大帝の息子でなくたってストーリーにはなんの支障もありません。
わざわざカール大帝の時代を物語の舞台として設定したのは、今だってはるか昔のような野蛮な侵略が世界中で起こっているではないか?という反戦メッセ―ジなのかもしれません。
壁を超えるリーディングプレイヤー
Carly Hughes absolutely kills it as the Leading Player! RT if you agree. Photo by: Joan Marcus pic.twitter.com/EAjWibDUWT
— Pippin the Musical (@PippinMusical) 2014年11月14日
この作品は「超える」ということがひとつのテーマになっているような気がします。
フィクションの中の登場人物であるはずの役者が観客や読み手に直接呼びかけることを「第4の壁を超える」と表現します。
第4の壁
フィクションである演劇内の世界と観客のいる現実世界との境界を表す概念のこと。
この手の手法は日本の漫画や映像作品では結構メジャーなので、わりとなじみがあるかと思います。『古畑任三郎』の古畑警部がドラマを見ているお茶の間の視聴者に突然語りかけてくるのも、第4の壁を越えているのです。
リーディングプレイヤーという役はまさに第4の壁を超える存在。東急シアターオーブの観客にガンガン話しかけてきます。
そして、リーディングプレイヤーは性別の壁も超えた役です。
1972年の初演では男性が演じる役でした。しかしダイアン・パウルスが手掛けるリバイバル版では女性が演じており、今回はクリスタル・ケイさんが演じています。
#FBF to Pippin's original Broadway production which closed exactly 38 years ago today: June 12, 1977. #PippinOnTour pic.twitter.com/MLlARCAuF5
— Pippin the Musical (@PippinMusical) 2015年6月12日
ダイアンによると、リーディングプレイヤーという役の役割を十分に演じられるのであれば男でも女でもどちらでもよく、オーディションも男女、さらには人種も関係なくリーディングプレイヤーとしての素質と見ているそうです。
ちなみに2007年の日本公演ではパパイヤ鈴木が演じています。
メインビジュアルのセンスについては、ちょっとノーコメント。
『ピピン』のエンディングはバッドエンド?
ラストシーンでは、旅の中で様々な経験をしたピピンに対して狂言役であるリーディングプレイヤーと一座たちがピピンに物語の最高の"クライマックス"を用意します。
それは、「燃える炎に飛び込んで太陽と一体化し、永遠に輝く存在になること」
早く飛び込め、君にしかできないことなんだ。とピピンを奮い立たせる一座に対して、やっぱりできないと筋書き通りの”クライマックス”を拒絶するピピン。
そんなピピンを見たリーディングプレイヤーは、ピピン・キャサリン・キャサリンの息子テオの衣装を剥ぎ取り、サーカスの装飾を全て撤収してしまいます。
※キャサリン:ピピンが恋に落ち、ピピンと同じくリーディングプレイヤーが用意した”筋書き”を拒否したヒロイン。
それだけでなく、実際に劇場で演奏しているオーケストラに対してすら「そこのキーボード!いつまで弾いてるんだ!」と叱責するリーディングプレイヤー。
サーカスの装飾も、音楽も、それまで舞台を彩っていた何もかもがなくなった静寂の中、静かに去っていくピピン。
このシーン、初めて見たときは「え?これで終わり?」と思うはず。普通のミュージカルならここからピピンとリーディングプレイヤーは仲直りして、最後はみんなで真のハッピーな大円団を迎えるはず。
でもこの物悲しいエンディング、よく考えると実はこれ以上ないハッピーエンドかもしれません。
真の生きる意味を手に入れたのかもしれない
リーディングプレイヤーの不思議な力によってピピンの旅は華麗に派手にクールに”演出”されていました。時には、ピピンが犯してしまった過ちを時間を巻き戻してなかったことにすらしてしまいます。
人生を意味のある特別なものにしようと夢物語を描いていたピピンですが、最後の最後でリーディングプレイヤーの筋書きを拒否します。
リーディングプレイヤーに見放されたピピンの人生は、地味でなんの派手な演出もない退屈なものとなっていくことでしょう。
でもこれこそが、現実を知らない甘ったれ王子のピピンが最後の最後でやっと手に入れた価値なんだと思います。
ピピンがトボトボと去った後、彼がどうなったかは作中では語られません。そのため、一見ひどく悲しいエンディングにも思えます。しかし、作中で何も語られないからこそ人生に筋書きなんてないことが観客によりリアルに伝わるのではないでしょうか。
普通のミュージカルであればピピンは「これからの筋書きのない人生は自分でつくっていくんだ!」と高らかに歌って幕が下りるはず。
しかし、ピピンが舞台上を去って戻って来ないことで、彼が自分の人生を自らの足で歩みだしたことを観客に証明するわけです。
ピピン王子は現代で言うところのエリート新卒社会人
本作の上演時期6月。新卒社会人たちは4月に新入社員用の研修を終えて、まさに今頃の時期に現場に配属されて実務に励みだしている時期だと思います。
第2幕でピピン王は農村で村人に混じって農作業や家畜業を手伝うシーンがあります。このシーンでのピピン王子の言動はまさに新卒社会人が陥る真情と全く同じだなと。
ピピンは村人たちの仕事ぶりに驚きます。毎日こんな地味で退屈な仕事してるの?本気で言ってる?やってらんないよ、と。
自分は人生で何か特別なことをして、何かを成し遂げないといけない。Extraordinaryなことを見つけなければ!と、村人たちの単調で地味な作業には見向きもしない状態。
新卒社会人なら誰しも1度はピピンと同じようなこと思うんじゃないかな。新入社員に与えられる仕事なんて9割がた「これなんの意味があるんだろ?」というようなもの。毎日毎日それの繰り返し。
面接で語った将来のヴィジョンや夢を実現するような、創意工夫に富んだカッコいい仕事がしたい。
と、超現代風にいうとこんな内容のことをピピンは「Extraordinary」という曲の中で村人をバックに歌います。オシャレで爽やかな曲調で、この曲のメロディが頭に残っているというお客さんも多いはず。
※Extraordinary=並外れた、普通でない
しかし、うがった見方をすると地に足をつけて勤勉に働く村人の姿を見てもなお夢物語のカッコいい自分の姿を想像するピピン王子は、まさに現実を知らない世間知らずのお坊ちゃま。
結構皮肉の聞いた良いナンバーだなと思います。
作品には新卒社会人の暗喩はもちろん意図されていないです。が、ピピン王子が良い大学を卒業したのに社会で退屈な現実に打ちのめされた新入社員にしか見えないのです。たぶん、共感する人たくさんいるはず。
「これでいいのだ」の精神
喜劇王チャールズ・チャップリンは『ライムライト』という主演脚本映画で「人生に意味なんて求めるな」と語っています。『ピピン』にも彼のこの理念に通ずるメッセージがあると思います。
人生に大いなる意義なんて求めちゃだめさ、なるようになるのさ。という精神は意外と世界各地で根付いてるもんです。
スペインではケセラセラ(Que Será, Será)
『風と共に去りぬ』のスカーレット・オハラの有名なセリフ ”Tommorow is another day(明日は明日の風が吹く)”
じゃあ日本では?というと、バカボンのパパの口癖「これでいいのだ」とか?
これでいいのだ!!!!
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