ミュージカル『パレード』観劇してきました。初演は観ていないので完全初見の感想となります。
※がっつりネタバレ書いているのでご注意ください。
もくじ
ミュージカル『パレード』とは
1913年アメリカ南部で実際に起きたユダヤ人の冤罪事件を題材としたミュージカルです。日本では2017年に初演を迎え、今回2021年1月に再演されました。
主演の石丸幹二さんをはじめとし、坂元健児さん、今井清隆さん、石川禅さん・・・などなどミュージカル界の重鎮で固められたキャスト陣です。
あまりに衝撃的な内容であるため、初演時は幕が下りたあとすぐに拍手がならないことも多々あったとか。それほどセンセーショナルな作品ということです。
余談ですが筆者の観劇回は男性客の割合が高くて驚きました。スーツの男性がやたら多かったのですが関係者さんでしょうか。一方で前方数列のSS席はほぼ全員女性でした。
ざっくりあらすじ
舞台となるのは1913年のジョージア州アトランタ。レオ・フランクは工場を営みながら献身的な妻ルシールと慎ましく暮らしていた。ある日、工場内で13歳の少女メアリー・フェーガン強姦殺人事件が勃発する。様々な人間の陰謀によって、無実のレオは犯人として仕立て上げられてしまう。彼がユダヤ人だったからだ。妻と共に必死に身の潔白を訴えるレオだが…
レオ・フランク事件という実在の冤罪事件を題材としたストーリーです。主人公レオ・フランクと妻ルシールの夫婦の絆だけでなく差別問題や集団心理といった人間の根深い部分までストレートに描いています。
(※リンク先はWikipediaですが、なかなか衝撃的な写真が掲載されているので閲覧は十分ご注意ください)
作品の感想
正直2回目は観れないかも
本公演は再演ですが筆者は完全初見です。ストーリー性の強い作品ということもあり、公式ホームページのあらすじ以上の内容は予習せずに観劇しました。
とはいえ「救いがない」「やるせない気持ちになる」という感想は散々と耳にしていたので、「あ~、これは冤罪で死刑になってしまうのか・・・」となんとなく予想はしていました。
観劇した人ならわかると思いますが、そんな想像を遥かに超えるエンディングです。
夫婦の絆によって絞首刑を覆したレオと妻ルシールが明るい未来を願った矢先に、暴徒による集団リンチと"私刑"によって殺害されるレオ。
「凄まじいミュージカルを観てしまった・・・」と憂鬱な気持ちで帰路についたわけですが、まだそこまではよかった。問題は帰りの電車で実際のレオ・フランク事件を調べてしまったことです。
インターネットを使えば実在のレオの顔写真は当然のことながら、暴徒によって絞首刑に処されているレオの画像まで容易に検索に出てきます。
正気に言うと調べたことを激しく後悔しています。
ミュージカルはまだS席13,500円のエンターテインメント作品として美しく仕上がっていましたが、実際の記録を読むと本当に血の気の引くような凄惨な事件でした。
ミュージカル作品として完成度はとてつもなくハイレベルで洗練されていますし、楽曲も演出もかなり好みです。
が、もし再再演があってもたぶん観ないかな・・・と思います。今のところは。暗いミュージカルは比較的好きなほうですが、それでもちょっとキツい作品でした。
驚くほど拍手する隙がない
感想として1つ気になったポイントを書いていきます。それは観客が拍手をする隙がほとんど全くないこと。
1幕の後半くらいで気づいたのですが、この作品とにかく拍手させてくれません。幕間に向かう1幕ラストシーンですら、一切の拍手が鳴りません。
ミュージカルといえば、バーンッ!と歌い上げる演者と万雷の拍手を送る観客、という光景が普通です。というか、もはや醍醐味の一つですよね。
一方、『パレード』の歌唱は歌い終わりからスーッと自然にセリフや場面転換に移っていきます。つまり、「拍手ここだよ!」というタイミングがほとんど見当たりません。
筆者は観客に拍手をさせないように意図的に作られているのでは、と考えています(実際の理由は分かりませんが)
観劇において拍手という行為はステージと観客席の気持ちを繋げるツールのようなものです。が、それを封じられたらどうでしょう?
観客はステージ上で繰り広げられる世界に一切の介入を許されないわけです。目の前で繰り広げられる悲惨な事件の行方を歯を食いしばりながら座って観ているだけ。つまり、観客は歴史の傍観者以外の何者にもなれないのです。
この拍手するスキの無さこそ、『パレード』の世界で繰り広げられる凄惨さを増大させる正体の一つだと思います。観客たちは手も足も出せず、犯罪者として次々と仕立て上げられていくレオをじっと見守ることしかできない。
舞台作品は拍手あってなんぼのものだと思っていましたが、それを逆手に取った見事な演出です。
センス光る演出の数々
シリアスな作品ではありますが、舞台作品としての演出はかなり好みでした。センス抜群の演出が随所に散りばめられています!
印象に残ったシーンを挙げていくならば、やはり特筆すべきはオープニングで大量に舞う紙吹雪でしょうか。
ミュージカル「パレード」、舞台監督さんから教えてもらった。紙吹雪は毎回新しいものを、色の配分をちゃんと考えて降らせてるんだそう。石丸マネ pic.twitter.com/m6158wUuh4
— 石丸幹二 (@team_kanji) May 31, 2017
これ、観劇前から見どころの一つとして知っていたので「あー、確かにすごい量だ」くらいにしか最初は思わなかったのですが、終演まで掃除されないこの紙吹雪は物語が進むにつれて様々な意味を持ち始めます。
1幕ラスト、レオの死刑判決を聴いた民衆はパレードさながらに喜びます。そんな大はしゃぎの彼らに囲まれながら呆然と立ち尽くすレオと妻ルシールの頭上を舞う紙吹雪・・・という印象的なシーンがあります。
レオとルシールを馬鹿にするみたいにポップで明るい色調の紙吹雪ですからね。普通のミュージカルなら死刑宣告されたシーンは絶望的な悲しい音楽とダークな照明がド定番ですよ。
1幕ラストのこれ、ものすごい皮肉が効いているというか、とにかくすさまじい演出ですよね。そりゃ、客席も静まり返るさ・・・
演出と言えば、あともうひとつ。ラストシーンでレオとメアリー・フェーガンの間で実際何が行われていたのか、観客にだけこっそり教えてくれるシーンがあります。
このシーン、一番グッときたかも。絶望的な結末の中に、ほんのわずかな希望を感じさせてくれるエンディングだと思います。
過去のシーンに戻って何が起きたのかを回想で明かすという構成はドラマや映画では割とあるあるな展開ですが、よく考えてみると舞台作品では結構珍しいような気がします。
キャストの感想
キャストの感想ですが、主演の石丸幹二さんはもちろん舞台上に出演している全員ホントに素晴らしかったと思います。
再演だからということもあると思いますが、それにしてもハイクオリティでした。一切ストレスなく観劇できます。
主演・石丸幹二さん
石丸幹二さん。舞台上でのパフォーマンスが素晴らしかったことは大前提として、少し本題とはずれる感想ですがちょっと書いていきます。
石丸さんは2020年9月にシアターコクーンにて『十二人の怒れる男』というストレートプレイの舞台に出演されていました。(感想記事はコチラ)
その作品では殺人事件の陪審員4番という役でしたが、堤真一さん演じる主人公に「本当は冤罪なんじゃないか?もう一度よく考えてみたらどうだ?」と冤罪の可能性を説得させられる側の人間です。
陪審員4番は理知的で頭の切れる人間です。犯人は黒人の少年に違いないと確信している役どころでした。
一方で今回の『パレード』のレオは「冤罪だ!信じてくれ!」と哀願する立場の人間。にも関わらず、『十二人の怒れる男』で演じた役と今回のレオは内面だけでなく見た目すらそっくりなのです。髪型も眼鏡も何もかも同じです。
レオは31歳で1915年に私刑にされています。『十二人の怒れる男』の世界は1954年で、陪審員4番はおそらく35歳前後かと思います。
この時系列を考えると、神様のいたずらでレオが陪審員4番に生まれ変わってしまったかのように思えてしまいます。
もちろん『十二人の怒れる男』はフィクションですし、そもそも輪廻転生なんてものが実在するかどうかも分かりませんが、同じ役者さんがこうもそっくりな見た目でありながら正反対の立場の役を演じられていると、なんだか少し奇妙な気持ちになります。
実力派ぞろいのキャスト陣
皆さん素晴らしかったのですが、特に印象に残った3名の感想を書いていきます。
アトランタ州検事ヒュー・ドーシー役の石川禅さん。いやー、すごかった・・・。
ある意味わかりやすい悪役ポジションの役どころですが、当時のアメリカ社会の根深い人種問題の闇そのものを体現した存在とでも言うのかな。ただの悪いやつだけで終わらない、バックに禍々しい暗闇を感じさせる存在感でした。
妻ルシール役の堀内敬子さん。1幕のお嬢様感プリプリの若奥様から2幕の強い女性に変貌するお芝居が良かったです。1幕の序盤は正直ちょっと「ん?」と思ってしまいましたが、2幕で怒涛の活躍を見せるルシールの伏線だったようです。
夫レオの言いなりになっていた彼女が徐々に妻としての自覚に芽生え力強く成長していくところも見どころの一つです。石丸さんの声量に台頭に張り合える野性味ある野太い歌唱がすごく良い!
囚人ジム・コンリー役の坂元健児さん。ジムが裁判で歌うThat's What He saidというナンバーがありますが、筆者は作中の楽曲の中でこれが一番好きかも。
レオの死刑を決定づける重要なシーンの曲のくせに、めちゃくちゃオシャレなジャズテイストの曲です。こういうシーンであえてこういう曲を持ってくるなんて小憎たらしい粋な演出ですよね。
でもこの曲、サカケンさんくらい歌唱力と表現力のある役者さんが歌っていなかったら台無しにすらなりかねないリスクを孕んだ1曲だとも思う。
まとめ
作品の作り手の想いとしては、観客たち一人ひとりがこの作品を通して差別や冤罪と今一度じっくり向き合うメッセージ性があるはずです。が、作り手の気持ちに答えることは筆者にはムリそうです。
自分はミュージカルや観劇を通して人類が歩んできた歴史や熱い思いを知ることが好きなのだ、どんなに辛い物語でもそこから何かヒントを得ることができる人間なのだ。
そう思い込んでいましたが、どうやら違ったようです。もっと浅瀬でチャプチャプしていたい。
あまりにも凄惨すぎる事件の場合、深いことまで知りたくない。検索してしまった内容を記憶から消したいとすら思ってしまう。そういうタイプの浅い人間のようであることを強く実感しました。
【参考】参照用リンク先
・レオ・フランク事件のWikipedia:私刑に処されたレオの遺体の白黒画像が含まれていますので閲覧には十分ご注意ください。
・ホリプロ公式のレオ・フランク事件解説:とても読みやすく参考になります。舞台写真やキャストの画像もあります。