いわずとしれたミュージカルの金字塔『レ・ミゼラブル』
ヴィクトル・ユゴー原作小説が1980年にパリでミュージカルとして世界初演を迎え、2019年現在まで世界中の地域で上演されています。
そして、2012年にヒュー・ジャックマン主演で映画化されたことで、レミゼブランドはさらに確固たるものとなりました。
ミュージカルを普段見ない人でも、レミゼだけは見たことあるよ。
もしくは、映画版が面白かったからミュージカル版でも見てみたいな。という人は結構いるはず。
そこで今回はミュージカル版と映画版の主な9つの違いをまとめていきます。
もくじ
9つの違い
1.ふたつのLook Down
ミュージカルも映画もオープニングは同じく1815年トゥーロンの港から始まります。
投獄されているバルジャンは座礁した船を引っ張って港に引き上げる強制労働をしています。
大勢の囚人たちがLook Down(囚人の歌)というオープニングナンバーを歌います。
Look down, look downDon't look 'em in the eye
(下向け、目を合わすな)
という歌詞です。
ミュージカル版は刑務官は囚人の真横で監視しています。
一方映画版は罪人たちよりはるか上の位置から監視しています。
つまり、ミュージカル版は監視員と目が合わないようにするという意味に聞こえますし、映画版は(顔をあげずに)ひたすら下を向いて働けという意味に聞こえます。
位置関係的に、映画版のほうがちょっとだけわかりやすいんですよね。
ちなみに、バルジャンが出獄した10年後の世界でもLook Downが再び歌唱されます。
今度はパリの街中で飢えに苦しむ乞食たちが背の高い馬車に乗って通過する金持ちに群がってこう歌います。
Look down and see
the beggars at your feet
Look down and show
some mercy if you can(下を向いて足元の乞食たちを見ろ。慈悲があるなら恵んでくれ)
囚人たちが歌うオープニングナンバーと、10年後の街の乞食たちが歌う歌詞は同じ「Look down」でも対象と意味が異なります。
同じ歌詞・同じメロディでも歌われる場面で全く違う意味になるのがレミゼミュージックの大きな魅力のひとつなのです!
2.怪力男あらわる
前述したとおり、オープニングでバルジャンは港で強制労働しています。
ある日労働が終わった後、ジャベールに仮出獄許可書を渡され、晴れて自由の身に。
このとき、映画版では巨大な丸太をたった一人で持ち上げる怪力っぷりを見せるバルジャンと、驚いた様子で見つめるジャベールの描写が追加されています。
10年後、ミュージカルも映画も、ジャベールが市長だと思っていた人物が実はバルジャンではないかと気づくシーンがあります。
荷車に轢かれた村人を助けるために1人で重い荷車を持ち上げるシーンですね。
映画版でのジャベールは荷車を持ち上げる市長を10年前丸太を持ち上げていたバルジャンに重ね合わせて、
「もしやこの市長・・?いやそんなまさか」
と気づくわけです。
ミュージカル版では囚人時代のバルジャンが丸太を持ち上げるシーンがないので初見だと
「荷車を持ち上げることでなぜジャベールは市長が実はバルジャンだと気づいたんだろう?」
と疑問に思うはず。
丸太のシーンがひとつあるだけで、映画版は随分わかりやすくなっています。
3.『夢やぶれて』の歌唱タイミング
ミュージカル版のレミゼに慣れた人が映画版を見て、おぉ!と感じるいちばんの違いだと思います!
ファンテーヌが歌うI dreamed a dream(夢やぶれて)というナンバーの歌唱タイミングの違いです。
タイミングの違い
ミュ:工場をクビになった直後
映画:工場クビ→髪を売る→歯を売る→体を売った直後
ミュージカル版と映画版。どちらが良い悪いという話にするつもりはないのですが、この変更だけは映画版グッジョブ!と言わざるをえないほどの改良。
"I dreamed a dream in time gone by, when hope was high and..." Can you complete this #LesMis lyric? pic.twitter.com/y5lo1vzi
— #LesMis (@LesMiserables) 2012年12月30日
映画版は、
”娘のコゼットのためになんとか金を工面しなければ。たとえ体中を差し出しても!”
という信念の中、ついに売春にまで落ちてしまい心が折れてしまった絶望感がより伝わってきます。
So different from this hell I'm living!(私が思い描いていた人生、こんな地獄じゃなかった!)
という悲痛すぎる歌詞がよりグっと刺さるし、説得力が違う。
ミュージカル版では上記の歌詞は「今、地獄に落ちて」です。
正直、映画版を見たあとにミュージカル版を観に行ったら「いや、クビになったくらいで大げさやん」と思うようになってしまった・・・昔はここでオイオイ泣いてたのに。
4.バルジャンの父性
ミュージカル版と映画版で楽曲はほぼ同じです。
若干省かれているフレーズがあったり順序が逆になったりはしますが、基本的に一緒。
しかし、決定的に違う点があります。それは、映画版書下ろし楽曲があること。
Suddenlyというナンバーです。
テナルディエ夫妻からコゼットを引き取った後、バルジャンが馬車の中で歌います。
コゼットは馬車に揺られながらバルジャンの膝枕でぐっすりと、安心しきった様子で眠っています。さっき会ったばかりの子供なのに自分を信頼しきっている様子。
19年も投獄されていたような忌々しい過去をもつ自分が。
突然、ふいに、父親になったのだ。一生この子を守り抜くぞ、とバルジャンの決意と愛が溢れるシーン。
ミュージカル版に慣れ親しんでいたので、聞き馴染みのないメロディが流れてきたとき一瞬「...?こんな曲あったっけ?」と思いました。
なんていい曲なんや・・・!!
ミュージカル版ではバルジャンがコゼットに対して持つ思いは、もちろん父親としての愛情という側面もありますが、どちらかと言うとファンテーヌへの贖罪という要素が濃いです。
しかし映画版はSuddenlyが追加されたおかげで、きっかけはファンテーヌへの贖罪であったが、バルジャンという男にも無償の愛を与え、与えられる関係性が生まれたのだ。
それも、突然ふいに・・・というよりドラマチックで愛溢れる展開になっています。
ミュージカル版がいつかリバイバルされるときには、ぜひこのナンバーを追加してほしい。
ちなみに、ミュージカルで長年アンジョルラス・ジャベールを演じた岡幸二郎さんは自身のソロアルバムでSuddenlyを日本語で歌っています。
そのほかにもレミゼナンバーがたっぷり収録されているので必聴の一枚。
5.Starsから読みとる宗教色
ミュージカルも映画も、曲順はかなり前後するもののSuddenly以外はほぼ同じ。
そして、曲の雰囲気や盛り上がり度も大体一緒。
ただ1曲だけ、これ全然ミュージカル版とテンション違うじゃん・・・という曲があります。
それがジャベールのStars(星よ)というソロナンバー。
バルジャンが出獄した10年後、やっとの執念でバルジャンの存在に近づいてきたジャベール。
絶対に奴を捕まえて牢獄にぶち込んでやる。神に誓って。と、夜のパリでひとり決意を固めるシーン。
ミュージカルでは名曲しかないレミゼナンバーの中でも1位2位を争う大ナンバー。
それまで冷徹で怖いイメージのあったジャベールがはじめて人間らしさを覗かせる、まさに星降る夜の壮大な歌い上げ曲です。
ところが映画版でジャベールを演じるラッセル・クロウのStarsはかなり静かで落ち着いた印象。
単純に賛否両論を巻き起こしたラッセル・クロウの歌唱力の問題かもしれませんが、この演出にはミュージカルと映画の宗教色の違いに影響されているのだと推測しています。
というのも、ミュージカル版より映画版の方がより宗教的なメッセージが強いのです。
例えば、エピローグでバルジャンが180度改心するsoliloquy(独白)は、ミュージカルではバルジャンはどこともいえぬ道端のような場所で歌いますが、映画では教会の中で歌います。
他には、映画で追加となったシーンでも顕著です。
ジャベールから逃れようと幼いコゼットを抱いて身を隠そうとするバルジャンに救いの手が差し伸べられます。荷車に轢かれたところをバルジャンが助け出した、まさにその人物が修道院にかくまってくれたのです。
人を助け、人に助けられる。まさに隣人愛の象徴ではないでしょうか。
極めつけはラスト、バルジャンが天に召されるシーン。
ミュージカルではアンジョルラスや司教など先に死んでいったものたちが一列に並んでおり、ファンテーヌがバルジャンを彼らの元に導きます。
同じ想いで必死に生きたものたちがバルジャンの立派な生涯を讃えるように迎え入れます。まるで、戦友OB。
一方映画は、天国の門をくぐり、神の国に導かれるという宗教色が濃い演出でした。
争いで無残な死を遂げた者も、飢えで死んでいった者も皆、青空晴れ渡る神の国では愛に満ち幸せに永遠を生きていく。キリスト教の理念を強く感じる演出になっています。
The barricade for the final sequence was constructed on 2 trucks and driven through London to the set of #LesMis! pic.twitter.com/N52rJSG9
— #LesMis (@LesMiserables) 2012年12月12日
話はStarsの歌唱に戻ります。
つまり映画版のStarsは観客に向けて高らかに歌い上げるビックナンバーではなく、ジャベールが神に向かってまるで独り言のように静かに決意を誓うナンバーにしたのではないでしょうか。
そして、映画版ではジャベールという人間が持つ情の厚さもクローズアップしています。
顕著であるのが、亡くなったガブローシュの死体を見てしばらくうろたえ、そして自分の胸の勲章を彼につけてあげるシーン。
"A man like you can never change." - Do you believe people like Javert can change? #LesMis pic.twitter.com/eBhaeMy6
— #LesMis (@LesMiserables) 2013年2月18日
このシーンで流れる曲は実はバルジャンのソロナンバーBring him homeですが、この曲の最も盛り上がるメロディはミュージカル版では回収されるアンジョルラスの死体にスポットライトが当たるシーンになっています。
ミュージカルでのこのシーンはある意味アンジョルラスの見せ場のひとつですが、映画版ではジャベールの見せ場になっているわけですね。
6.敵ではなかった"敵"
革命を起こす学生たちが政府軍に打倒するため町中の家具を積み上げて巨大なバリケードを築き上げます。
ミュージカルでは舞台のやや奥に舞台幅めいっぱいに巨大なバリケードのセットが配置され、手前側に学生たちが身を潜めます。そして、学生たちはバリケードの向こう側にいる政府軍と銃撃戦と繰り広げます。
観客からはバリケードの向こう側の政府軍は当然見えません。つまり、政府軍がいる”てい”なのです。
この表現方法はレミゼ独特の手法といえます。
舞台作品において戦争・戦闘シーンでは、役者たちは観客のほうに敵がいる想定で観客のほうを向いて芝居をします。
観客にお尻向けるわけにいかないので。
しかしレミゼは真逆です。舞台の奥に敵がいる想定で観客にお尻を向けて芝居します。
これの何がすごいかというと、見ている観客もアンジョルラスやマリウスとともにバリケードの中にいる錯覚に陥るんですよね。
そして、バリケードの向こう側の敵の姿が見えない中で敵が放つ銃声が劇場中に響きます。
そのため、政府軍がなんだか正体不明の一方的な悪者のように感じてしまうのです。
一方、映画版です。
当然ミュージカルとは異なり、様々な視点やシーンから様々なカットが積み重なってひとつの作品となっています。
ですので、ミュージカルでは圧倒的な悪の存在であった政府軍もアンジョルラスたちと同じ人間なんだ、ということが伝わってきます。
例えば、ガブローシュが政府軍に銃殺されてしまうシーンですが、ミュージカル版では姿見えぬ政府軍によって問答無用で撃たれてしまいます。
一方映画版では銃を撃った人がはっきり描写されています。
最初の一撃は子供相手の威嚇射撃でしたが、ガブローシュが威嚇にめげずに何度も立ち向かって来たので思わず引き金に力がこもってしまったのです。
政府軍は発砲後、空しいやりきれない表情を浮かべています。
ミュージカル版では悪魔のようにも捉えられかねないガブローシュの撃ち手ですが、映画版では政府軍も学生たちと同じ人間であることがよくわかります。
7.バリケードは巨大な墓?
ミュージカル版ではマリウス以外の大勢の学生たちはバリケードの上で撃たれて死んでいきます。
戦いが終わったあとのバリケードは学生たちの死体の山。バリケードはまるで巨大な墓のような威圧感を放ちます。そして、アンジョルラスは撃たれたあとバリケードの頂点から舞台奥にフラリと落下してしまいます。
一方、映画版。
学生たちが続々と撃たれバリケードが崩壊していく中、ついに追い詰められたアンジョルラスとグランテールは建物の2階に逃げますが、逃げ場を失った二人はそのままそこで銃殺されます。
なんともあっさりとした死・・・ミュージカルでは「バリケードを築き上げ、バリケードで殉職する」という生き様がまさにアンジョルラスをアンジョルラスという人物足らしめるポイントだと思います。
映画なのでバリケードの頂点で撃たれるなんてちょっと現実離れしているからですかね?
たしかに狭い建物の中に追い詰められるほうがリアルで、より緊迫感と絶望感があふれる演出になっています。
8.お手紙の配達人
民衆のために革命を起こす仲間たちに加わることを決意するマリウス。
初めて恋をしたコゼットへの想いをしたためた手紙を書いて、コゼットに届けようとします。
結局コゼット本人直接ではなくバルジャンのもとにわたってしまうのですが、手紙のお届け人が違います。
配達人の違い
ミュ:エポニーヌ
映画:ガブローシュ
エポニーヌはマリウスに片思いしていますが、マリウスはコゼットを想っています。つまり、エポニーヌはマリウスに叶わぬ恋をしています。
このシーン、ミュージカル版ではかなり切ない仕上がりになっています。
エポニーヌからすればコゼットは恋敵なわけです。なのに、マリウスの役に立ちたくて手紙を渡しに行きます。
(エポニーヌはコゼット本人にではなくバルジャンに託しますが)
好きな男の子の恋文ともいえる手紙を自分が届ける・・・エポニーヌの素直でいじらしい性格が顕著に現れているシーンです。
一方、映画版はマリウスはエポニーヌではなく少年ガブローシュに手紙を託します。
Eponine takes the letter Cosette has left for Marius. Would you have done the same? #LesMis pic.twitter.com/LKbzW39c
— #LesMis (@LesMiserables) 2012年12月28日
このお届け人の変更による影響は実はかなり大きなもので、物語のラストシーンに深く影響してきます。
ミュージカル版でのバルジャンとエポニーヌのコミュニケーションは、この手紙に関するシーンのみです。
つまり、マリウスが手紙を託した人物がエポニーヌから違う誰かに変更になるということは、バルジャンとエポニーヌの関わりが一切消滅することになります。
ミュージカル版では物語の最後、ファンテーヌとエポニーヌが死を待つバルジャンをお迎えに来ます。
しかし、映画版では手紙のお届け人がエポニーヌではなくなってしまったので、エポニーヌはバルジャンのお迎えには行けません。
この女性のオバケ誰?ってなっちゃうからね!
9.最期、お迎えに来たのは・・・
物語の結末。贖罪の人生を終えたバルジャンを天から迎えにくるのは、
迎え人の違い
ミュ:ファンテーヌとエポニーヌ
映画:ファンテーヌとミリエル司教(ちょろっと登場)
と、お迎えに来るメンツがちょっと違います。
この違い、どちらも人気があります。
映画版でエポニーヌから司教に変更したのは、前述したとおりバルジャンとエポニーヌには映画では関わりがないので当然といえば当然の変更かもしれません。
ミュージカル版はバルジャンが主人公というよりはプリンシパル全員が主人公であり、観客は神のような視点で俯瞰しながら物語を追っていきます。
そのため、レミゼという物語を彩った女性二人が現れて、美しい女性の和声を重ね合わせてまるで天女のようにお迎えが来るのはあまり違和感がありません。
一方、映画版は”バルジャンの物語”という要素が強いです。
バルジャンの目線で語られることが多いので、当然視聴者はバルジャンと同じ視点で物語を追っていきます。
ですので、ここでエポニーヌではなく司教が登場するのはとても自然です。
なんてったって、バルジャンの人生を180度変えた物語屈指のキーマンですから。
ちなみに、ミリエル司教についての記事も書いていますので、気になった方はぜひ。
以上、ミュージカルと映画の主な9つの違いでした!
ミュージカルと映画、どちらを先に見るべき?
ズバリ、映画版です。
なぜならこれまでも書いてきたとおり、映画版レミゼはミュージカル版だけではわかりづらい描写や説明を補足しながら物語が進みます。
つまり、映画のほうが圧倒的にわかりやすいのです。
ただ、やはり歌唱や迫力の面では生の舞台であるミュージカル版には敵わないと思っています。
ですので、映画版でレミゼ面白いじゃんと思った方はぜひミュージカル版も見て欲しい!