
ただでさえ衝撃作、さらに衝撃作へ
待望の再演、2020年『フランケンシュタイン』公演が幕を明けました。さっそく筆者も何度か足を運び、ダブルキャストや新キャストを堪能しています。
ビクターとアンリの4人のプリンシパルについてそれぞれ別記事でたっぷり感想を書いていこうと思いますが、まず最初は続投キャストの中でも、格段に進化(いや変化?)したと感じたアンリ・怪物役の加藤和樹さん。
まずざっくりとした感想ですが、怪物は歌唱や芝居などミュージカル俳優として数段進化したと感じました。一方アンリは人物像が大きく方向転換したのでは、と感じています。

もくじ
加藤アンリについて
積極的な死を求めるアンリ
違う記事にも少し書いたんですが、ビクターとルンゲが必死にステファンを説得すれば、おそらくアンリもビクターも処刑は免れたと思うんです。ステファンに相談したうえで、それでもなお身代わりになるという2段構えの進め方もあった。聡明なアンリもそれは理解しているはず。
それでもアンリは親友の身代わりとなって死ぬ道を選択したわけです。(そこでステファンに真実を話したらお話として成り立たないでしょ、なんてロマンのないツッコミはなしで)
もちろん、ビクターが処刑される可能性を1%でも残したくない、ビクターが研究に打ち込めない期間をつくりたくない、などなどが考え得る普通の理由。
いやでも!加藤アンリからは、特に再演の加藤アンリからは死を通した喜びみたいなものを感じざるを得ません。それも、自分が死ぬことによって達成される、人生において生きる意味を教えてくれた対象(ビクター)に身も心も全て捧げる喜び。
一言で言うならば、再演の加藤アンリは死に対してより積極的になったなと・・・うーん、正月早々に狂気です。
ビクターの狂信者
初演の加藤アンリは「死に場所を探している」「死に急いでいる」雰囲気こそあったものの、基本的には性根の明るい芯の通った美丈夫という印象でした。(一方小西アンリは死に向かって無表情で全力疾走している感じでしたけど)
しかし再演では、実は元々かなり病んでいたアンリに対してビクターが彼の心の奥底の狂気を解放してしまったような感覚に陥ってしまった。
と考えるのも、注目したいのは処刑判決が出た後のアンリ表情です。
このシーン、初演のときはもう少し険しい表情をしていたように記憶しています。再演では、まるで生涯一の満足感を感じているような神聖で清楚な表情。
この表情がフランケンの計り知れない魅力を増幅させたと強く思う!
処刑判決から「君の夢の中で」歌唱後までの加藤アンリ、なんだか不気味すぎるくらい爽やか。まるで何かに操られてるみたいな整然な雰囲気。毎朝の通学みたいな顔だよ。ビクターに友情という名の洗脳を受けているように思えてしまう。
ビクターの前では明るく振る舞いながらも処刑台に上るときに涙を流すことは、初演のときはビクターや自分の生涯に想いを馳せて激情から思わず出た涙という印象でした。
ちなみにこれ↑は初演の画像です(東宝さんfacebookから引用)
一方で再演の加藤アンリの涙はむしろ、生まれて初めて心の奥底から信奉する存在(ビクター)のために命を捧げられる喜びの涙のようにも見えてしまう。
この作品の前半は「美しき友情」だけど、再演の加藤アンリは友情なんてものを遥か昔に超えてしまった信仰に近い状態なんじゃないかな・・・
● まるで奇跡だ 君に出会った瞬間
● 今まで生きた人生の全てを疑うような
● 激しく魅了する哲学、信念、情熱
● 新たな世界描く君
何も知らない人がこの歌詞だけ見たら「新興宗教にでもハマっちゃったの?」と思うかもしれません。冷静に考えたら、教祖に出会って人生180℃変わっちゃった人みたいにも見える・・・
美しく刹那的な歌詞にすらビクターへの猛信を感じてしまうようになってしまった!再演加藤アンリ怖いぞ!
意義ある死への憧れ?
これは完全に筆者の妄想ですが、アンリは”大義ある死”みたいなものを潜在的に求めていたのかなあ。
戦場の軍医として、死にかけズタズタの軍人を嫌というほど見てきたはずです。権力者たちの欲望に巻き込まれて戦地に赴いたあげくに、駒のようにあっけなく死んでいく軍人たち。
「この人たちの人生って一体何だったんだ?」「こんな終わり方の人生に意味なんてあったのか?」ということを治療しながら毎日悶々と考えていたんじゃないかな。
死ぬ行く軍人たちの口から出る人生でやり残した後悔の言葉なんて聞き飽きていたはずです。
生きることへの執着を無くしたそんなアンリの目の前に現れたビクターという存在。彼のために自分の命を捧げるという行為は、アンリの中の「意味なんてない人生」をハッキリひっくり返すような青天の霹靂だったのかも。
● 心の底から信奉するビクターに全てを捧げる
● 自分の人生に意義が生まれる
ビクターの身代わりとなって処刑されることは、イコールこの2つを叶えることでもある。これこそアンリ自身の人生を完成させる最後のピースだったのかなあ。
初演から逆転した両アンリの解釈
前述したとおり、”死”の方向を常に向いているのはどちらかというと小西アンリというイメージでしたが、再演によって大きく覆されました。
中川ビクターとの組み合わせの時は特に、本物の狂気はビクターではなくアンリの中に潜んでいたのでは...?と思ってしまう。どうだろう・・・
このことを文字にしてしまうと「純粋な狂気」なんていう陳腐でありきたりな言葉になってしまうのがもどかしい。そんなもんじゃないんだよ!
いわゆるサイコパス的な、一見普通に見えるけど実は一番狂ってる人って創作物では結構あるあるじゃないですか。でもそんな”よくいる人物”で終わらせたくない程の底知れなさがあるよねぇ。
再演の加藤アンリは、深淵を覗くとき深淵もまたこちらを見て...いるかどうかすらわからないほど深く暗かった。なんだかそんな感じです。
・・・でも冷静に考えてみれば、処刑判決を受けたアンリがあんな清々しい表情をしていたら、フランケン初見の人にとってはさらに意味不明になるのでは、とちょっと思ってしまった。
まあ、初見で100%楽しむというよりは何度も観ながら自分なりの考察を重ねてこそ面白い作品だから、全然ウェルカムなんですけどね!

加藤怪物について
ミュージカル俳優としての凄まじい進化
怪物についてはアンリほど初演からの解釈の変化はなかったんですが、とにかく歌唱面や発声面での進化が凄まじい!
加藤さんに対しては、やはりまだどこか「テニミュ出身イケメン俳優枠」として考えてしまうことがありました。でもフランケン再演の、しかし怪物役の加藤さんは今までとは絶対的に違う。
ミュージカル俳優として数段一気に駆け上がったという印象を持ちました。
ファンの方には「いや元々上手いでしょ!」と言われてしまうかもしれませんが、加藤さん個人ではなく作品というフィルターを通してしか加藤さんを見てこなかった自分にとっては、再演フランケンで本当に進化したと驚いています。なんだか上から目線で申し訳ないですが。
まるで樹の年輪のように時間と共に一回り、もう一回り・・・と一瞬も止まらずに太くなっているようなイメージ。
特に怪物になってからの低音の響きが素晴らしい!怪物の悲痛な叫びのはずなのに、聞いていてどこか少し心地よかった。
試行錯誤の賜物?
ファン感謝祭でお話している姿からも、とても真面目でマメな印象を受けました。作品や役に対しても徹底的に真摯に向き合っていることが外野のミュージカルファンにも伝わってきます。本当のところどうなのかは知らないけど。
加藤さんの進化っぷりを見ていると、演出の板垣さんの「フランケンに関してはできる限り役者が思ったとおりに演らせている」という言葉が物凄くしっくりきた。
加藤さんの中にある試行錯誤を100%実証&体当たりできる作品だからこそ、ここまで進化したのかなぁ。
あくまでミュージカルとしての怪物
勝手な印象ですけど、加藤アンリは小説っぽくって加藤怪物はまさにミュージカルという感じ。
1幕はそれこそビクターの実験日誌を読んでいるような読み物っぽさがあると思っているんですが、2幕はそこからいきなり飛び出してくるようなリアリティを感じます。
だから2幕で怪物が高台からユラッ・・・っと登場すると、ミュージカル作品としてどんどんズコズコ血圧が上がっていく感覚になるんですよね!加藤怪物ついに来たぞ・・・!って心躍っちゃう。
そして、前述したとおり加藤怪物の歌唱は聴いていて心地よい。いくら残酷な作品といえどミュージカルという興行であることには変わりないので、歌唱自体にはミュージカル特有の高揚感がないといけない。
加藤さんは歌に感情を乗せるのが本当に上手だと思います。「俺は怪物」や「傷」は怪物の悲痛な叫びではあるんだけど、それでもなおメロディアスで情緒的に聞こえるところがミュージカルとして素晴らしいなと!
煌びやかだったりコミカルな役で”ミュージカルらしさ”を出すより、怪物のような暗く切ない役どころで”らしさ”を出すほうがよっぽど難しいんじゃないかと素人ながらに推測します。
だからこそ、怪物という役がちゃんとミュージカルのキャラクターとして成り立っているところがスゴさだよなぁ・・・
アンリがビクターを信奉すればするほど後半が辛い
加藤怪物に「今のあなたを創ったのは、記憶のないあなたが心から信奉する人だったんだよ」と教えたらどう思うんだろう。
怪物が生き延びられた原動力の大部分はビクターへの復讐心であるはずです。自分勝手で高慢な”創造主様”に復讐することだけが生きる糧だったのに、昔の自分はそんな創造主に対してまさに主のように狂信的に慕っていたことを知ってしまったら・・・
ギャー!想像しただけでおぞましい。むしろ怪物はアンリの頃のピュアな気持ちを知らないで幕を閉じたことが唯一の救いなのかもしれない。
ビクターを憎んだまま絶命できた怪物の幸せ・・・
「絶望の中にあるほんの僅かな希望」の意味。加藤アンリで観るフランケンは、もしかしたらこういうことでもあるのかも、と思ってちょっとゾっとしたり。

冷や汗多め、狂気マシマシ
再演は全体的に狂気度が強くなりました。
一般的に狂気度が高くなる作品って、わかりやすいTHE・狂気って感じの要素がモリモリですよね。サイコパスっぽいイカニモな笑い方だったり絶叫だったり、目つきだったり。
フランケン再演の狂気度はそんな安っぽい進化ではなかった。もしかしたら誰しもが持っているかも、と思わせるような普遍的な狂気だったと思う。
演者が特別な言動をしているわけでもないのに何故か背筋がヒヤっとするようなシーンが多いんですよね。再演フランケンって、うまく言葉で表現できない独特な変化を遂げたと思います。
その中でも真に狂ったものを感じてしまうのはやっぱり加藤アンリかなぁ。加藤さん自体は別に「この作品をもっと狂気的にしてやろう!」なんて気は微塵もない思うんですよね。
自分が考えるアンリ像をより深く突き詰めていった結果こうなっただけ。だからこそ余計怖い。
ベタ褒めしちゃったけど
なんだかスゴく褒め倒した感想だけど、もちろん小西さんのアンリや怪物も好きですよ。でも初演から色んな意味で驚いたのはやっぱり加藤さんかなぁ。
加藤さんのことは『1789』やら『マタ・ハリ』やらで色々観てきましたが、「これは加藤さんしかできないでしょ」と感じるような役は正直なところ、出会えませんでした。
でもフランケンのアンリ/怪物だけはやっぱり加藤さんでしょ!と強く思ってしまう。別に俳優としての加藤和樹が特段好きなわけじゃないけど、加藤さんが作り上げたアンリ像と怪物像がとにかく好きなんです。
フランケン、やっぱり楽しい~!
もしかしたら逆にハッピーな作品なのかも
フランケンって観れば観るほど邪道な作品ですよね。「面白いから見てね!」なんて無責任なことは言えないようなマニア向け。
それでもなお、ここまで考察のしがいがあってキャストのペアごとに解釈や印象が違う、そんなミュージカル作品ってこのご時世なかなかないと思うんです。
この記事だって「そうかなぁ?」と、あまりしっくりこない人も多いはず。でも色んな解釈があるからこそのフランケン。キャストは本気の本気で毎公演挑んでくれるし、観客もみんなで自分の考えや考察を交換しあったり、新しい発見や見方があったり....
やっぱりフランケンって楽しい~!こんなにハッピーな作品ないだろう!
・・・と一瞬錯乱してしまいそうになることがあります。でもフランケンが一周回ってめちゃくちゃハートフルに思える瞬間があるってフランケンファンあるあるだと思います。
再々演はあるのだろうか・・・
でも2度目の再演は正直かなり難しいと思っています。定期的な再演がほぼ決定しているような王道ランナップではないし、すごく人気があるわけでもないし。
韓国発のミュージカルですから、国同士の情勢によっては...なんてことも絶対に起こりえないとは言えない。
もしかしたら人生最後のフランケンかもしれない。だからこその2020年再演を1公演1公演、噛みしめながら大切に観たいなぁ、と思います。
全体の感想記事でも書いた通り、演出や表現の面など全体的な方向性は初演と大きく変わらなかったというのが第一印象です。再演なので、もちろんキャストの歌唱力・表現力はパワーアップしていますが。
幕開けからトップギアで始まるところが再演の醍醐味ですよね!
いや逆に「正直初演のほうが好きだった」という人も結構いるかもしれません。ただでさえ速い作品のテンポがさらに速くなったし、再演でカットされた楽曲もある。おまけに、プリンシパルもアンサンブルもキャストが一部変更になってますし。
思うことは色々あるけど、ビクターとアンリがこの4人で本当によかった!