フランケンシュタイン

『フランケンシュタイン』再演でリトル・ビクターの重要性を痛感した

 

子役さんがここまで輝く作品ほかにあるだろうか

 

2017年初演のミュージカル『フランケンシュタイン』ですが、2020年待望の再演もあっという間に中日を過ぎました。そこで、つい先日に公開された公演映像版のプロモーション動画をさっそく見ました。

↓↓ これがその動画です。

 

あまりの素晴らしさに感動しました。東宝さん本当にありがとう。

 

普通、ミュージカルのプロモーション映像はプリンシパルが次から次へと登場するファッションショーのような定型の構成です。

今回のフランケンの映像は、ビクターとアンリの関係性のみにスポットライトを当てたような大胆なつくりになっています。様々な登場人物がいるけれども、作品の根幹は二人の友情と憎しみであることが露骨に表現されていてグっときました。

 

そしてもう一つ胸を撃たれたのは冒頭のリトルビクターの無垢で真っすぐな歌声。これホントに良い・・・もうウンザリするくらい良い!

このプロモーション動画を見てから観劇すると、リトルビクターの重要性が物凄く身に沁みました。ただの子役・ただの幼少期だけではない素晴らしさがあると痛感。

 

物語の始まりは母を想う無垢な願い

『フランケンシュタイン』を超えるほどエグいミュージカルはないと思っています。エグい作品は他にもあるけど(春のめざめとかね)初見でここまで訳の分からない後味の悪さを感じる作品にはなかなか出会えない。

そんな残虐で救いのない物語ですが、考察が考察を呼ぶ奥深い描写や倫理観を問うエッジの効いた作品として、エグさ自体が作品の売りのようになっています。

 

しかし、リトルビクターの歌声を聴いて改めて思った。こんなむごたらしい物語であっても、全ての始まりはビクターの無垢で純真な想いだったのだと。少年が母を想う気持ちがきっかけで始まる物語なんて、やっぱりフランケンは素敵な作品ですよ。

 

純粋さゆえに生まれた悲劇。皮肉にも似た美しいエグさに何とも言えないロマンを感じてしまいます。

フランケンは狂った原作者がつくった作品なんかじゃ決してなく、本当の幹の部分には人間としての無垢さとか暖かさがある物語なんだなと思うのです。そうじゃなければこんなに多くの作品ファンなんか付かずにあっという間にお払い箱。

 

 

ラストシーンでリトルビクターの姿が重なる

ラストシーンで怪物の亡骸を抱きながら子供のように慟哭どうこくするビクターは、声を上げて泣くたびに彼の上に何重にもこべり付いた殻が一枚ずつポロポロと剝がれていくような感覚になります。

歪んだ倫理観、捻くれたプライド、固執、執着・・・そういったものが取れて、だんだんと幼少期の純粋なビクターの姿に戻っていくような感じがしません?

 

このシーンの最後のセリフの「俺はフランケンシュタイン」ってどういう意味なんだろう?この言葉の続きは一体なに?ミュージカルなんだから深い意味なんてないのはわかっているけど、やっぱりちゃんと考えてみたい。

 

もしも「俺はフランケンシュタイン博士。蘇らせられない人間なんていない」だとしたら、絶命したように見える怪物(アンリ)を何とか救おうとしているのかもしれない。

幼少期のビクターの研究目的はきっと”大切な人にもう一度会いたい”という純粋な願いだけ。この世界の新しい創造主になりたいだとか神の領域に足を踏み入れたいだとか、そんなことは微塵も思っていなかったはず。

ラストのビクターは実は、お母さんを蘇らせようとした子供の頃の無垢な気持ちにかえっていて、腕の中で目をつぶっている大切な人をもう一度蘇らせようと無意識に決意した叫びなのかも?

 

鬱蒼とした暗い森の中を進めば進むほど益々ドス暗くなっていくような物語なのに、それでもやっと最後の一搔ひとかきでほんの一瞬キラっとした何かを見つける。フランケンってこんな作品ですよね。

この”何かキラッとしたもの”の正体は幼少期のビクターの純真そのものなんじゃないかなあと最近思います。

 

曲のテンポはビクターの成長そのもの?

リトルビクターが歌うこの一節。

「生命、有機の結合。細胞、電気に反応。死亡は一時の放電。充電出来得る生命。老廃物、中和させる血管。腐敗死体にも適応可能。だが脳に残る損傷リスク...!」

 

この曲って、”充電出来得る生命”までの前半部分は、まるで讃美歌のように神聖で真っすぐに響くメロディです。しかし後半になればなるほどテンポアップしながら低く籠っていきます。

緊迫感を煽るような曲調はこの後ステファンにたれるための前フリのようなメタ事情もありますが、純粋だったビクターが段々と歪んでいくように、この子の未来そのものを予言するようにも聞こえるなと。

たった1分にも満たないパートですが、これだけでビクターの中に潜む異質な芽が確実に育っている表現になっているところがスゴいですよね。

 

でもこのシーンで一番注目して見てみて欲しいところは実はリトルビクターじゃなくてルンゲ。ここのルンゲ、本当に素晴らしいお芝居だと思います。壮麻さんさすがすぎるよ・・・

驚くというよりも悔しいような絶望したような表情に徐々に変わっていくんですよね。「薄々気づいていたけれども、この子はきっと普通の人生は送れない」という残酷な事実を不幸にも確信してしまったように見えます。

 

ただの幼少期の描写とは言わせない迫力

子役は超ざっくり分けると2つの役どころがあると考えています。

①登場人物の幼少期の役
(エポニーヌ、コゼット、ビクターなど)

②子供にしかできない特別な役割を持った役
(カブローシュ、シャルロット、アマデなど)

 

まず①は単純に登場人物の幼少期の役として登場する場合。一方で②は、子供が演じるからこそ味が出る人物や、子供にしかできない役割を持った場合。

 

例えば『レ・ミゼラブル』のガブローシュが成人男性だったら観客が一連のシーンに対して抱く印象は大きく変わってくるでしょうし、『1789 -バスティーユの恋人たち-』のシャルロットは少女だからこそ混沌としたパリの街での軽快な立ち回りが光る。

『モーツァルト!』のアマデは言わずもがなですよね。

 

ミュージカルの作品で目立つ子役と言えば、一般的には比較的②のほうが多いと思いますし、私も印象に残っている子役が演じた役は圧倒的に②のタイプ。

でもですよ、フランケンのリトルビクターって①なのに凄まじい存在感だと思います。「①なのに」という表現があまり良くない自覚はありますが、本当にその通りの気持ちなのです。

 

ただの幼少期の描写・ただの回想なんて絶対に言わせないような迫力がありますよね。

リトルビクターの純真さだけでなく、彼の中にある小さな小さな異常性の芽がそのあと何年もかけて化け物のように巨大化していくおぞましさも表現しないといけない。それもたった数分間だけで!

 

ちょっと話がそれますが、『スターウォーズ』のファントム・メナスでアナキンの幼少期を演じたジェイク・ロイドは、のちに銀河を支配する暗黒卿の姿をほんの薄っすらと感じさせるような独特の存在感と迫力のある少年でした。

リトルビクター見てるとファントム・メナスの超有名なあのポスターを思い出しますね。わかる人にしか伝わらないけど。

 

これです

 

 

フランケンはやっぱりスゴい作品だ

今更だけど子役って本当にスゴい・・・リトルビクターの存在がこの作品に及ぼしている影響って自分が思っているよりずっと大きいのかもしれません。

フランケンの出演者やファンが大切にしている作品のテーマ「絶望の中にあるほんの僅かな希望」の模範解答はなく、物語のどこで見出すかは一人一人によって違ってくるはず。

 

一見すると1mmの希望すら残されていない作品のように見えます。というかほぼゼロだと思う。それでもなお作品の根底にある何かキラっとした感覚を一瞬でもキャッチできると、フランケンって本当に良いミュージカルだなと改めて実感するのです!

 

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