『エリザベート』2019年公演も中盤に差し掛かってきました。
色々なキャストを交互に観て、この人がいるかいないかで作品から感じる重みが随分変わるなと思ったキャストがいる。
それが、
皇太后ゾフィー役の涼風真世
双頭の鷲を背負った地を這うような歌声
なぜか観客の背筋が伸びる1幕中盤の「皇后の務め」
若い皇后シシィに対して「親切で言うのよ。争いたくない」ときっぱりと言い切るシーンがありますが、この言葉から感じる意図がゾフィー役の3人全員違って聞こえるのが面白い。
香寿さんや剣さんのゾフィーは言葉のとおり本当に争いたくない、女同士仲良くできるに越したことないという感じがするんだけど、涼風さんのゾフィーはなんというか、
皇后と皇太后が争うのはただの時間の無駄。帝国の繁栄にとってなんの得もない。だから従いなさい。という策略性を強く感じる。
帝国にとってマイナスになることは何一つしたくない。ただでさえ崩壊しかけているのに。
若く幼い甘々ちゃんの皇后を教育しなくてはという厳しい愛情もあるんだろうけど、別にシシィという人間ひとりへの愛なんかではなくて、あくまで帝国の発展ため。
他の2人のゾフィーはまだシシィ本人への情も感じるからこそ涼風さんのゾフィーが一番怖い。とにかく断トツで怖い。
「皇后の務め」に代表されるようなゾフィーの曲は、本来であればシシィのことを遥か上から押さえるつけることをイメージされるナンバー。
しかし、涼風ゾフィーは地を這うような歌声でシシィのことを足元からグッと身動きを奪っている感じがするんですよね~。
まさにハプスブルク帝国の歴史と大地そのものを背負ったような深い歌声と刃物のように鋭い歌声。
うーん、最高ですね。
老いの芝居がピカイチ
2幕後半のゾフィーが帝国の滅亡の危機を危ぶみながら息絶えるナンバー「ゾフィーの死」
それまで冷酷で恐ろしい印象一色であったゾフィーがひとり、心の奥底にある人間らしい想いをひっそりと静かに吐露する。2分もない程の短さが息を引き取る直前であることを余計に演出していて切ない。
「優しさより厳しさを心殺して務めたわ。その意味がわかるとき、あなたの国は滅んでしまう」
ゾフィーにとって最期の言葉となるこの歌詞。皇太后ゾフィーとしてではなく、人間ゾフィーとして心の奥底にずっと閉まっていた心情を最後の最後に優しいメロディーに共にポロっとこぼす。
崩壊しかけている帝国を一心にただひたすら食い止めていたゾフィー。ダムに小さな穴が空いたかのように、彼女の死をきっかけに土台を失った帝国はグラグラと崩れていく。
1幕ではまるで軍人のように強く厳しかったゾフィーが、まるで普通のどこにでもいる老婆のように萎んでしまう。
彼女ですら”老い”というものには逆らえず、死(=トート)に飲み込まれていく
『エリザベート』は美貌の皇后にスポットが当たりがちですが、この"老い"というのは作品のひとつのテーマのはず。
「ゾフィーの死」でみせる涼風ゾフィーの老いの芝居は底の見えない素晴らしい演技だと思います。
帝劇全体の目線が一斉にゾフィーに注がれるシーンであるのに、その全員の視線すら包み込むようなゾフィーの憂いと悔い。劇場中が湿った空気で満ちるようなナンバー。
この曲、本当に重要なナンバーだと思うんです。『エリザベート』を代表する裏名曲のはず。
そして、涼風さんの老いの芝居はなんだかおぞましさすら感じる。他のゾフィーは自然の摂理で老いていくんだけど、涼風ゾフィーってなんだか妖怪っぽいというか。
いや失礼かもしれないけど、帝国を想うがゆえ執念に囚われて人ならざるものにすら成りかけてしまったような。
1幕の涼風ゾフィーは目線を動かすだけで空気がいちいちヒヤっと凍る感覚に陥るほど冷たいのに、「ゾフィーの死」の目線はどこか虚ろで暗い。
目線ひとつで年齢の違いを感じさせるなんて、すごすぎるよ・・・いやー、恐ろしい女優ですねホント。
そして、花總さんのシシィは枯れ力が断トツで素晴らしいと思います。だから花總シシィと涼風ゾフィーが揃った回は、『エリザベート』は老いの物語として最高に楽しめる。
涼風さんといえば歌唱力の高さがまず第一に評価されているけど、演技力も圧倒的に高いんだと実感した。
涼風ゾフィーがみせる焦りと余裕のなさ
色々書いてますが結局のところ、筆者が涼風さんのゾフィーに対して最も魅力的で画一的だと感じるのは、涼風ゾフィーがみせる焦りと余裕のなさだと思うのです。
他のゾフィーは例えば「皇后の務め」でのゾフィーに代表されてるように、若く幼い皇后を手のひらで転がすような余裕たっぷりなご様子。まさに”皇太后のお出まし”
でも涼風さんのゾフィーは最も怖く厳しく感じるゾフィーであるはずなのに、同時に最も焦りを感じます。
自分が何十年もかけて血反吐を吐きながら強くしてきた帝国が、この娘のせいで崩壊してしまうかもしれない、ということをシシィの甘ちゃんぶりを見て瞬時に察知した。
この田舎娘を今すぐに押さえつけないとマズい。この娘がきっかけで帝国が終わってしまうかもしれない。自分がなんとかしなくては。それができるのは宮廷でただ一人、自分しかないのだ。
という余裕のない焦りを感じるんです。
表情や声色は冷徹そのままなのに、よーーーく見ると額に一つの汗が。
もちろん肉眼で見えるわけではないですが、見えるんですなぜか筆者には(笑)
幼く可愛らしい小鳥のようなシシィの姿の後ろに潜みながらも、ゆっくりと確かに近づいてくるに帝国終焉の足音を誰よりも早く聞いてしまったゾフィーだと思うんです。
だから乗馬の稽古をしたいと言い出すシシィに対して「ダメよ!」と強く否定するこの台詞からは、怒りというよりは強い焦りのような息遣いを感じるんですよね。
「私だけに」が最も映えるゾフィー?
名曲のオンパレードの『エリザベート』の中でもとくに名曲「私だけに」というナンバー。
この曲はゾフィーがシシィに厳しく対峙する「皇后の務め」の直後に、宮廷でやっていけないと心折れそうになったシシィが自身の生き方を強く決意するナンバー。
だから「皇后の務め」のシーンでの絶望感とか、もう逃げられない閉塞感をどれだけシシィと観客に与えられるかが超重要になる。
涼風さんのゾフィーは少なくともこのシーンからは情の欠片も感じられないからこそ、「私だけに」でのシシィの飛翔するような決意がより映えるんだと思います。
涼風さんのゾフィーは、シシィの羽を最もきつく残酷にギチギチに縛り付けようとするゾフィーだと思う。
もしここのシーンのゾフィーに情が強く見えちゃうと「私だけに」に繋がることにあんまり説得力がなくなっちゃうからね。
そして子ルドルフへもっとも容赦なく鞭を使ってそうだ。
滅亡の象徴である皇太后ゾフィー
皇太后ゾフィーという役はもちろん脇役とまではいかないけど、超メインの役どころでもない。
でも涼風さんのゾフィーを見ていると思うのです。この役がいないとこの作品は帝国の滅亡の物語として成り立たないと。
宝塚版は東宝版とは違って黄泉の帝王トート閣下と皇后シシィの恋愛色が全体的に強めです。そして、「ゾフィーの死」は宝塚版にはなく、東宝版にしかない。
『エリザベート』という作品を何の話と捉えているかによるとは思うのですが、ゾフィーの死=帝国の滅亡の始まりだとするならば、ゾフィーの存在はこれ以上なく重要な役どころになります。
そして、『エリザベート』はトートすなわち”死”に帝国が飲み込まれていくストーリー。初めにシシィの長女が、次に皇太后ゾフィーが、そして息子のルドルフが。次々と訪れる死を経て、最後にはシシィ自身が。
トート閣下のスタンプラリー(死)みたいな話ですよね、超簡単に言っちゃうと。
あんなに強くて冷酷で、まるで歩く鞭みたいなゾフィーですら有無を言わず死に飲まれてしまった・・・もうお終いだよ、この帝国・・・
『エリザベート』を帝国の滅亡の物語として見るならば、もしかしたらゾフィーは主役なのかもしれないですね。作中で誰よりもハプスブルク帝国の繁栄と存続を望んでいるのはゾフィーであることは間違いないもんね・・・
怒りでも冷徹さでもなく、涼風ゾフィーを最も突き動かす原動力である”焦り”と、逆らうことのできない"老い"がとにかく魅力的なんですよね。
でも涼風ゾフィーが実は1番お茶目なゾフィーでもあるかも?
私は見逃しませんよ、「計画どおり」で不満そうにほっぺたをプクーッ!と膨らませている涼風ゾフィーを!!
か、かわいい・・・