もはや伝説となったミュージカル『エリザベート』は、2020年公演で東宝版20周年を迎えます。
本作にはエリザベートとトートの関係性の土台にハプスブルク帝国の崩壊という歴史的背景があります。知っていなくても十分楽しめますが、知っているとより面白い。
本記事では、歴史的な豆知識とともに筆者が推したい見どころ・聴きどころをまとめています。
東宝版と宝塚版の違い
もともとは、ウィーンにて上演されたオリジナル版を日本に輸入したのが宝塚です。
オリジナル版はエリザベート皇后が主人公ですが、男役をトップスターとする宝塚版ではトートにスポットライトを当てた構成に大幅変更されています。
一方、東宝版はよりウィーンオリジナルに近しい構成・世界観となっています。
また、東宝版においても歴代エリザベート役は全員宝塚出身です。逆に言えば、宝塚外部出身のエリザベート役は未だ誕生していないのです。
演出・訳詞を担当しているのは、宝塚・東宝どちらも小池修一郎さんです。
第1幕
我ら息絶えし者ども
死後の世界で皇后暗殺の裁判を受けるルキーニの訴えから物語が始まります。死後100年間も毎晩同じ裁判にかけられるルキーニと、皇后暗殺の動機を問いただす黄泉の国の裁判官。
皇后は自ら死を望んだのだ!と高らかに叫ぶルキーニは”証人”であるハプスブルクの亡霊たちが呼び覚まします。続々と舞台上に現れる彼らはの衣装の上には蜘蛛の糸のようなものに絡まれており、その表情からは苦悩とも怒りとも言えぬ感情が読み取れる。
エリザベートと同じ時代を生きた煉獄を彷徨う亡霊たちの大合唱こそ『エリザベート』のトップバッターを飾る大ナンバー。
エリザベートの母、義母、息子、夫・・・それぞれが彼女に関する事実を歌と共に語ります。
全出演者による大合唱は圧巻です!本作にはオーバーチュアがないので、何度観てもしょっぱなのこのナンバーで鳥肌が立ってしまいます。
豆知識
ルキーニは「毎晩100年間も!」と叫びますが、ルキーニが死んだのは皇后暗殺の11年後の1910年。『エリザベート』は1910年の100年後、つまり2010年時点の物語ということです。結構最近ですよね。
私を燃やす愛
そして舞台上から浮きながらゆっくりと降りてくるトート閣下のご登場。「ただ一つの過ちは皇后への愛だ」と吐露するトート。
歌唱が終わったあと、まるで操られたかのようなエリザベートが登場します。ルキーニが「Prego!」と叫ぶと人間らしい笑顔を取り戻すエリザベート。
そう、この物語は皇后暗殺犯であるルキーニの回想なのです。
作中でルキーニが発するイタリア語
● Alla malora:くたばれ(直訳:破滅へ迎え)
● Un grande amore:偉大なる愛
● Prego:さあ始めよう(直訳:どうぞ)
パパみたいに
物語は未来の皇后となるエリザベートの幼少期に移ります。16歳で結婚するまでの期間暮らしていたポッセンホーフェン城での場面です。
後のオーストリア皇后となるエリザベートですが、幼い頃は片田舎で暮らすお転婆で活動的な少女でした。自由奔放すぎる父マックスの影響を受けてフリーダムな精神が育ちます。
そんな彼女が「パパのように世界中を旅したい!冒険して暮らしたい」と夢を語るナンバーです。変人揃いの一家の大黒柱である父マックスの放浪癖を色濃く引いてしまったわけですね。
このシーンだけ見ると朗らかで微笑ましいシーンですが、彼女の行く末を知っている状態で聴くと、なんとも悲しく聞こえてしまう曲でもあります。「ジプシーのように」と歌う彼女ですが、幸か不幸かその夢は将来、形を変えて叶ってしまうのでした。
このシーンでマックスがエリザベートに別れを告げるときに発する「アデュー、シシィ」という言葉は、2幕への大きな布石となっています。
豆知識
幼少期のエリザベートが過ごしたポッセンホーフェン城は現存しますが、個人の私有地となっています。エリザベートと同じお家に住めるなんてスゴいですよね。
ようこそみなさま
「ようこそみなさま、ごきげんよう。重大発表!ありますのよ」と浮ついた様子で登場するエリザベートの母ルドヴィカ。エリザベートの姉のヘレネが皇帝陛下とお見合いすることを親戚一同に告げにきたナンバー。
親戚たちがゴチャゴチャやっているうちに、あれ?シシィがいない。それもそのはず、なんと木登り中です。落ちるなよ!絶対に落ちるなよ!という願いも虚しく、足を滑らせ木から転落してしまうシシィ。
ちなみに、東宝版は影絵のシルエットのような演出ですが宝塚版は本当に役者が落下します(もちろん舞台裏に安全着地)
愛と死の輪舞
気を失ったエリザベートは気が付くと、そこは怪しげな異空間。トート閣下の僕であるトートダンサーたちに導かれ、トート閣下とご対面。
「黄泉の世界...?私を帰して!」と叫ぶエリザベートですが、彼女と目が合い一目惚れしてしまうトート。この出会いこそが全ての始まりなのです。
愛と死の輪舞は黄泉の帝王として冷酷に君臨するトートが初めて人間のように恋心を抱いてしまった戸惑いと決意を語るナンバー。『エリザベート』を代表する曲の一つです。
「お前の命奪う代わりに生きたお前に愛されたい」と熱い想いを抱くトートは、エリザベートを現世へと送り返します。
ちなみにこの時のエリザベートは15,6歳の少女です。外見は子供とはいえ、彼女に生来備わった自由でエネルギッシュな魂に強烈に惹かれてしまったのです。決してロリコンではありません。
この曲は実は1992年のウィーンオリジナル版ではなく、1996年に日本初輸入した宝塚版で追加されたナンバーです。宝塚版ではタイトルの副題にもなっているとおり、男女としての関係性に焦点を当てたロマンチックで少し少女漫画的な要素のある楽曲になっています。
作曲者のシルヴェスター・リーヴァイさんの真骨頂が発揮されるナンバーですよね。ヨーロピアンな美しい旋律の中に、どことなく演歌っぽさのある日本人馴染みのあるメロディーが好きです。
皇帝の義務
場面は時の皇帝フランツ・ヨーゼフ1世陛下が治めるオーストリアの宮廷に移ります。とはいえ、実質的な皇帝は宮廷でただ一人の男だと言われているフランツの母・ゾフィー。
「強く・厳しく・冷静に・冷酷に」をモットーとするゾフィーが、謁見に訪れる人々を次から次へと捌いていくナンバーです。
最初の謁見人は革命で自由を叫んだ故に死刑判決となった息子の減刑を皇帝陛下に嘆願しますが、実質的な決定を下すのは皇帝ではなくゾフィー。減刑は叶わず、息子の母親は発狂しながら連行されます。
次の謁見人はクリミア戦争の情勢を報告するシュヴァルツェンベルク侯爵。オーストリア帝国は国内の革命を鎮圧してくれたロシア側に付いて参戦すべきだと訴えます。
これに対しゾフィーは、ハプスブルク家の勢力拡大の奥義である政略結婚こそ重要であると主張します。しかし、結果的にオーストリア帝国はロシアという巨大国家の後ろ盾を失うことになったため、ゾフィーの選択が正しかったかどうかは微妙なところです。
豆知識
シュヴァルツェンベルク侯爵は1852年に心臓発作で急死しています。フランツとエリザベートのお見合いは1853年のことなので、「皇帝の義務」は侯爵が亡くなる直前のシーンということになります。
計画通り
場面はエリザベートたちに再び戻ります。ルドヴィカは皇帝とお見合いする娘のヘレネを連れて、皇帝の別荘があるバートイシュルという土地へ向かいます。そこにエリザベートもお手伝いとしてついていくことに。
しかし「ひどいドレス、へんなヘアー」とゾフィーに一蹴されてしまうヘレネ。さらに驚くことに、皇帝フランツはヘレネではなくエリザベートを気に入ってしまい、なんとエリザベートが妃になることに決定。
お見合いの陰には、このどんちゃん騒ぎを「計画通り上手く運ぶわけがない!」と揶揄しながらニヒルに楽しむルキーニ。お見合いのドタバタ展開を観客に面白おかしく説明してくれます。
全体的に暗い作品ではありますが、この曲だけはミュージカルらしい陽気でノリの良いナンバーです。
豆知識
本作では平和で閑静なイメージのあとバートイシュルですが、晩年のフランツはエリザベート死後にこの別荘でサラエボへの宣戦布告の文書に署名をすることになります。この宣戦布告こそ、第一次世界大戦の勃発となったのです。
あなたが側にいれば
結婚することになったエリザベートとフランツが満天の星の下でこれから何十年間も続く愛を誓いあうバラードナンバー。「世界中旅する、二人で馬に乗り」と夢を語るエリザベートと、嬉しそうに笑うフランツ。
しかしエリザベートが「自由」という言葉を発した瞬間、フランツの表情が曇ります。
「皇帝に自由などないのだ。皇后も等しく義務を負う」と、皇帝の妃なるということが何を意味するのか真の意味をまだ理解していないエリザベートに説くフランツ。
愛のバラードではありますが、根底の部分では二人が決して分かり合えないということがわかる悲しいナンバーでもあります。
この曲は、2幕の最後にエリザベートがフランツからの想いを断ち切る「夜のボート」と同じメロディラインです。
フランツからの豪華なネックレスのプレゼントを「もったいない」「とっても重い」と困惑しつつも幸せそうな表情を浮かべるエリザベートですが、重厚なネックレスを首にかけられた姿はその後の彼女の運命そのものの暗喩なのかもしれません。
不幸の始まり
ウィーンにあるアウグスティナー教会にて結婚式が行われます。しかしこの結婚式こそエリザベートの不幸、しいてはハプスブルク帝国の崩壊の始まりとなるのです。
結婚式の参列者たちのベールを使った演出が最高に耽美で美しい。ちなみに筆者はこのシーンが全編で一番好きです。
このシーンでのトートは下手客席通路から登場します。下手の通路席で見ると、トートのお顔のメイクや衣装の豪華さを目と鼻の先で体感することができます。
豆知識
結婚式場のアウグスティナー教会には、歴代皇帝の心臓が奉納されています。皇帝は死去すると心臓と内臓はボディから切り離され、それぞれ別の場所に格納される慣習がありました。しかしフランツの心臓はアウグスティナー教会にはありません。フランツこそ、この残酷なしきたりを廃止させた張本人なのです。
結婚式のワルツ
結婚式の婚礼パーティにて談笑しあう参列者たちと新郎新婦。しかしフランツの母ゾフィーとエリザベートの父マックスは「結婚は失敗だ!愚かな選択だ」と嘆くナンバー。
あんなドジで立場を理解できていない女に自分の息子はやれない!と主張するゾフィーと、あんなマザコン皇帝に娘をやれるか!と訴えるマックス。どっちもどっちです。
少しコミカルな曲調で始まるこのナンバーですが、後半はこれぞまさにウィーンミュージカル!と叫びたくなるほど美しく迫力のあるメロディへと展開していきます。ここ、本当にカッコいい。高揚感が異常です。
ぐにゃあ...っと空気が捻じ曲がりながら異空間に飛ばされるような感覚になるんですよね。
最後のダンス
婚礼パーティで踊っていると思っていたら、いつの間にかトートダンサーに導かれてトート閣下と再会してしまったエリザベート。皇帝と結婚しようが最後にお前と踊るのはこのオレだー!と、エリザベートを翻弄するナンバーです。
擬人化された死と踊る。まさに死の舞踏です。
このシーンまでのトート閣下の一人称は「私」ですが、ここでは「俺」になってるんですよね。本性現れたり、というところでしょうか。
トート閣下のソロナンバーとしても『エリザベート』の代表曲としても人気があるので、ミュージカル俳優のコンサートで歌われる機会が多い曲でもあります。
豆知識
ウィーンオリジナル版ではトートの外見のモデルはデヴィット・ボウイであることから、ロックスターのような外見は意図的なデザインです。「最後のダンス」でのトートはまさにロックスターのように激しく魅惑的に描かれています。日本のトートはロックスターというよりビジュアル系っぽいテイストですけどね。
皇后の務め
いよいよ皇后としての生活が始まるエリザベート。しかしそれは彼女の想像を遥かに超える厳しいものでした。結婚生活の始まりはゾフィーの徹底指導の始まりでもあったのです。
「皇后の務めは自分を殺して全て王家に捧げること」と、エリザベートの自由や意志を否定するゾフィー。毎朝5時きっかりに全て始めなさい、乗馬はダメ、アレもダメ、コレもダメ・・・
現代人の視点で見ると可哀そうですが、当時はゾフィーの価値観のほうが真っ当だったのかもしれません。
もう限界!お義母さまがイジメるの、助けて!とフランツに縋るエリザベートですが、マザコン皇帝の回答は「僕は君の味方だ、でも母の意見は君のためになるはずだ」というもの。
そりゃそうかもしれないけど、フランツさぁ・・・
私だけに
そこで始まるのがこの曲です。『エリザベート』を代表する、エリザベートによる、エリザベートだけの大ナンバー。
「たとえ王家に嫁いだ身でも命だけは預けはしない!」と、強い決意を誓う1曲。皇后だろうが私は私。この人生と命は私だけのために存在するのよ、自身の生き方を力強く歌い上げます。
このエリザベートの姿を健気と捉えるか、はたまた傲慢と捉えるか。
人によっても違うしライフステージによっても違ってきますよね。例えばゾフィーの年齢に近い人の中には、そんな彼女をただの我儘と一蹴するかもしれません。
ちなみに、東宝版は舞台上でエリザベートただ一人で独唱しますが、宝塚版はトート閣下が傍らで見守っています。もちろんどちらも良いですが筆者は東宝版のほうが孤独感が強くて好きです。
死のご機嫌
エリザベートの悪夢のような結婚生活をルキーニの語りと共に説明するナンバーです。1年目から4年目までがダイジェスト式に語られます。
タイトルの「死のご機嫌」とは、窮屈な宮廷生活で自我に芽生えたエリザベートに驚きつつも様子をそっと見守るご機嫌斜めのトートのことです。
エリザべートの結婚生活はこんな感じ。
●結婚1年目:新米皇帝として働くフランツに置いてけぼりの待ちぼうけ状態。
●結婚2年目:長女が誕生するがゾフィーが勝手に名前を付けてしまいます。しかもゾフィーという名前。子供の養育の全てをゾフィーが取り仕切り、母であるエリザベートは子供に会うことすら困難となる。
●結婚3年目:次女が誕生するが、またしてもゾフィーに奪われてしまう。しかし、独立志気が高まっていたハンバリーを抑えるためのハンガリー訪問にフランツはエリザベートを同行させようとする。彼女の美貌と人気で独立を鎮圧させようとしたのである。エリザベートは娘二人をゾフィーの手から離れさせることを条件に、ハンガリーへと同行する。
つまり、エリザベートは自身の美貌を武器に次第に自由を手に入れていくのです。
それだけでなく、ゾフィーが自由な思想を持つハンガリーを長年にわたって弾圧していたことから、ゾフィーと対立していると噂のエリザベートに対してハンガリーの人々は多大な好意を抱きます。
デブレツィン
皇帝夫妻はハンガリーのデブレツィンを訪問します。しきたりで凝り固まったウィーンの宮廷とは正反対のハンガリーの自由な空気感に感激するエリザベート。生涯にわたってハンガリーを愛することになります。
デブレツゥイはフランツとエリザベートを迎えるハンガリー市民たちで大賑わいの様子。このシーンでハンガリー勢力のエルマー、シュテファン、ジュラの3人が登場します。
ハンガリーがハプスブルク帝国の統治となることに反対するハンガリー勢力によって、フランツとエリザベートの登場を阻止しようと妨害が入ります。
大混乱となった市民たちを治めるために、エリザベートは上着を脱ぎ、ハンガリーの三色旗カラーの豪華なドレスを市民に披露します。その美しい姿に見惚れた市民たちは、エリザベートにハートをがっちりと掴まれてしまうのです。
しかし、突如不幸が訪れる。ハンガリーに同行した長女がチフスで急死してしまいます。娘の命を奪ったトートを決して許さないと宣言するエリザベート。
闇が広がる
娘の死に咽び泣くエリザベートのもとに、本質が何もわかっていない愚かな皇帝と添い遂げようものならお前もいつか破滅するぞ、とエリザベートに忠告するトート。
2分に満たない短いナンバーですが、崩壊に向けて歯車は着実に回りだしていることがわかるゾクッっとする1曲でもあります。
ちなみに、一般的に有名なトートとルドルフの「闇が広がる」は2幕の「闇が広がる(リプライズ)」です。
退屈しのぎ
場面はウィーンの街角のカフェに移ります。客の話題は娘を亡くした皇后陛下で持ちっきり。しかしウィーンでは打倒ハプスブルクのハンガリー勢力が静かに勢いを増していたのです。
「皇室ニュースにはウンザリ!退屈しのぎにぴったり」というフレーズが印象的なナンバーです。これ現代でも同じですよね。
このナンバーで一年が経過します。ハンガリーの革命3人衆が再登場。ハンガリーとチェコスロバキア、ドナウ諸国の独立を誓います。さらに時は過ぎ、皇后が男児を出産したニュースがカフェ中を巡ります。
ここでこのカフェにお忍びスタイルのトート閣下もご来店。ロングコートにシルクハットというオシャレな閣下。その服は一体どこで・・・?なんにせよ、現生を堪能していますね。
ひ弱な皇太子
少年ルドルフ登場です。幼いルドルフに対して、皇帝になるための厳しすぎる教育を施すゾフィー。母親に会わせてくださいとゾフィーに懇願するも「皇帝には妻も子もないのです」と一蹴されてしまいます。
もともとひ弱で内向的なルドルフは剣や射撃ではなく、母と同じく文学や音楽に夢中になるような少年でした。
エリザベート泣かないで
ゾフィーから体罰まがいの教育を受けるルドルフを救うため、フランツに子供の教育を任せてほしいと嘆願するエリザベート。「お母さまか私か」という選択を迫ります。
孤独感と無力さで涙を流すエリザベートにそっと寄り添うのはトート。「エリザベート、泣かないで。おやすみ。私の腕の中で」と甘く誘惑します。終わることのない永遠の黄泉の世界への旅立ちに連れ出そうとします。
しかしエリザベートはトートの誘惑を拒絶します。その時に大声で叫ぶ「嫌よ逃げないわ!諦めるには早い!生きてさえいれば自由になれるわ」というセリフが最高なんですよね。
ミルク
「ミルク!今日もまた品切れ...どうして!」という印象的な歌詞で始まるこのナンバー。銀のミルク缶を持った市民たちがミルク缶で大きな音を出しながら怒りをぶちまける迫力ある1曲です。
それもそのはず、皇后が美容のためにミルク風呂に入っているから・・・と、贅沢を持て余す皇后へ激高する市民。
ちなみにこのシーンではルドルフ役の役者もアンサンブルに混じって参加しています。ぜひ探してみてください。ところでミュージカル作品ってミルクっぽい曲多すぎません?
皇后の務め〈エステ〉
場面は宮廷に戻ります。エリザベートのお世話をする侍女たちによるナンバー。お世話といってもただの衣食住ではなく、美容のお手入れです。ゾフィーが歌う「皇后の務め」と同じメロディラインですが、内容は全く持って正反対であるところが面白いですよね。
終盤にエリザベートの行方を尋ねに来たフランツが現れます。
豆知識
エリザベートは自分自身の美貌だけでなく、他人の顔にも興味があったようです。世界中の美男・美女の写真を集める趣味があったんだとか。
私だけに〈リプライズ〉
「君の手紙何度も読んだよ」と、エリザベートに優しく問いかけるフランツ。息子の教育も任せるし、君の望みはなんでも叶えてあげる。だからもう一度僕のもとに戻ってきておくれ、と哀願します。
『エリザベート』のメインテーマと共に振り返り表情を見せるエリザベート。
このシーン、本当に美しいです。耽美で、幻想的で、ロマンチックで・・・幼少期からその成長を見てきたエリザベートが人間を超えた超越的な存在になってしまったかのような瞬間です。
このシーンでのエリザベートの登場はヴィンターハルターが描いた、あの有名な肖像画と同じポーズ。振り向き美人です。演じる役者によっては”美人”なんて言葉が陳腐に聞こえるほどの、おぞましいまでの美を誇ります。
そして1幕ラスト、奥義で顔を覆うエリザベート。『エリザベート』を代表するワンシーンと言っても過言ではないでしょう。圧倒的な高揚感に包まれながら1幕が終わります。
ハプスブルクの美の化身とも称されたエリザベートの美しさの絶頂を示すような印象的なシーンです。
第2幕
キッチュ
2幕はルキーニの代表曲から始まります。ズンチャズンチャズンチャズンチャ・・・という印象的なリズム。一見すると陽気でポップなメロディですが、内容はエリザベートがいかにエゴイストであるかと皮肉ったナンバー。
タイトルの「キッチュ」はまがいものという意味です。ちなみにカーテンコールでも流れる曲です。
エーヤン
オーストリア=ハンガリー帝国の皇后となったエリザベートは、ルドルフと共に戴冠式に出席します。ハンガリーの人々はエリザベートを情熱的に迎えます。しかし、笑っていられるのは今のうちだけだ!と嘲るトートの姿が。
ここのシーン、「エーヤン!エーヤン!エリザベート!」という歌詞が妙に頭に残ります。ちなみに「エーヤン」とはハンガリー語でバンザイの意味。
豆知識
エリザベートは生涯ハンガリーを贔屓しました。例えば、次女ギーゼラの名はかつてのハンガリー王妃の名前からちなんでします。また、三女のマリーはハンガリーで出産し、生活様式も完全にハンガリー式で教育しています。そんなこともあってか、マリーはエリザベートの子供たちの中で唯一良好な関係だったそうです。
私が踊る時
しきたりに縛られた宮廷生活の中で、確固たる自信と威厳を身に付けたエリザベート。人に認められる喜びを噛みしめ、人生の絶頂を味わう彼女と、その姿を見つめるトート。
「最後のダンス」では、一方的で力強いトートのダンスに翻弄されっぱなしであったエリザベートが、「私が踊る時」では余裕の微笑みを浮かべながらトートを手なづけてしまいます。
エリザベートの毅然とした整った精神を象徴するかのような軽やかなメロディの楽曲です。まるで階段をリズムよく上がっていくかのよう。
豆知識
曲中でトートがエリザベートを「カモメ」と表現しますが、エリザベートはカモメと不思議な縁があります。他にも、エリザベートが書いた詩にはこんな一節も残されています。
「私が旅に出るたびに、カモメの群れが船のあとについてきた。そのなかには必ず、ほとんど黒に近い濃い色のカモメが一羽いる。時にはその黒いカモメが、大陸から大陸へと移動する間、ずっと私に付き添っていたこともあった。その鳥は私の運命なのだと思う」
ママ、何処なの?
場面は宮廷に移ります。巨大な宮廷で母エリザベートの帰りを待つ息子ルドルフがひとりぼっちの孤独を歌うナンバー。トートは幼いルドルフに寄り添うように歌います。
このシーンで、「マイヤーリンク」の伏線となる拳銃が登場します。
精神病院
一方エリザベートは宮廷から離れ、各地を巡る旅に出ています。皇后としての窮屈な生活から逃避した彼女は孤児院など恵まれない人々への慰問活動を積極的に行ってしました。その中でも彼女がしばしば足を運んだのがウィーン郊外にある精神病院。
豆知識
エリザベートは元々、精神病と診断された親族の多い家系出身です。『エリザベート』という作品は精神病の兆しのあった皇后が幻覚(トート)を見ている物語だという考察も一部あるようです。
魂の自由
精神病院には、一人目立つ患者がいます。彼女の名前はヴィンデッシュ。精神が錯乱し、自分のことを皇后エリザベートだと思い込んでいます。
そんなヴィンデッシュの様子を見た本物のエリザベートは「私がエリザベートよ」と言い放ちます。すると取り乱したように大泣きするヴィンデッシュ。しかし、自由な魂と心を持つヴィンデッシュにエリザベートは心を打たれます。
拘束義で身体を縛られても魂は何にも束縛されず自由。一方エリザベートの身体は自由でも、魂は鎖で縛られている。本当に皇后にふさわしい魂を持つのは私ではなく、この患者なのでは?
エリザベートの心の葛藤が吐露されるナンバーです。
このシーン、『エリザベート』の中でもかなり特殊なんですよね。正直なところ初見では後味も悪く不気味な場面です。良くも悪くも記憶に残るというか。皇后と精神病患者を対比させるなんて演出、なかなか豪快で残酷ですよね。
エリザベートという女性の心の奥底にある闇に触れるような、底知れぬ奥深さのある鮮烈なシーンです。
豆知識
エリザベートを長年演じている花總まりさんは過去のインタビューにて、「この精神病院のシーンがいちばん難しいかも」と語っています。演者にとっても観客にとっても印象に残る強烈なワンシーンかもしれません。
皇后の勝利
一方、物語は宮廷に戻ります。宮廷では年老いたゾフィーが息子のフランツをエリザベートから引き離すための作戦会議に熱を入れている様子。これ以上エリザベートの好きにやられっぱなしでは、帝国も皇帝も何もかも滅びてしまうことを恐れたのです。
その案はなんと、売春宿からとびきりの美人を連れてきて皇帝の愛人を用意するというもの。
マダム・ヴォルフのコレクション
ゾフィーの近親たちはマダム・ヴォルフという女性が経営している売春宿に向かいます。「マダム・ヴォルフのコレクション」は売春宿でマダムと売春婦たちが繰り広げるダンスナンバー。
『エリザべート』の中ではかなり異色の楽曲です。できわどい衣装の女性アンサンブルたちが近親たちを誘惑する、セクシーで艶やかな1曲。
皇帝フランツの愛人として選ばれたのは、マダムの”コレクション”の中でも上玉のマデレーヌという女性でした。しかしこのマデレーヌ、なんと性病持ちだったのです。
豆知識
ちなみにウィーンオリジナル版ではマダム・ヴォルフではなくフラウ・ヴォルフという役名になっています。
落下
場面はエリザベートの体操室に移ります。体操室の手すり棒から落ちたエリザベートは医師から診察を受けますが、体力の低下の原因はダイエットのやりすぎではなくフランス病(梅毒)であると告げられます。
売春婦のマデレーヌに性病を移されたフランツからエリザベートも感染してしまったのです。エリザベートは、フランツが自分以外の女性と関係を持っている事実を知ってしまいます。
フランツから重大な裏切りを受けたエリザベートは医師に対して「命を絶ちます」と宣言。その言葉を聞いた医師は「待っていた!」と上着を脱ぎ、本性を現します。医師はトートの変装だったのです。
今こそ黄泉の国へ出かけよう!とエリザベートを誘惑するトートですが、夫の裏切りは自分が自由になれることを意味しているのだ、と自分に言い聞かせるようにトートを突き放します。
このシーンでエリザベートがトートに言い放つ「まだあなたとは踊らない...!」というセリフが本当に良いんですよね。
『エリザベート』という作品は一見すると自ら死を望んだ皇后の物語として受け取られかねません。しかし、このセリフを聞くと彼女は何があろうが決して人生を諦めず、最期の瞬間まで闘い抜いたことが伝わってきます。
豆知識
実在のエリザベートも美への執着が凄まじく、毎日何時間も運動をしてスタイルをキープしようとしていました。エリザベートについてあまり知らない観客が観ると「なんでいきなり体操室?」とちょっと不思議に思ってしまうかもしれませんね。
最後のチャンス
一方フランツは、母ゾフィーが自分とエリザベートを遠ざけるような策略を企てたことに激怒。ゾフィーに対してもう二度と我々夫婦のことに干渉するなと強く宣言します。
ゾフィーの死
フランツに見放されたゾフィーを心痛が襲います。そのまま苦しそうに胸を抑える彼女と、黄泉の国から迎えに来たトートダンサーたち。ゾフィーが死に際に、誰にも明かしたことのない切ない想いを吐露するナンバーです。
曲自体は他の楽曲と比較すると短めですが、「優しさより厳しさを。心殺して務めたわ」「その意味がわかるとき、あなたの国は滅んでしまう」の歌詞からは、ゾフィーの秘めた心をそっと読みとることができます。
豆知識
宝塚版『エリザベート』でのゾフィーはボックリと亡くなってしまいます。鬼教官のようなゾフィーにも人間らしい想いがあったことがわかるシーンの存在が、東宝版の良いところのひとつですね。
ちなみに実在のゾフィーは肺炎で亡くなっています。宮廷で唯一の男と言われた人間とは思えない程あっけない死だったと言われているそうです。
いつになったら
一方、夫フランツから裏切りを受けたエリザベートは放浪の旅に出ます。「母上はもういない、帰っておいで」と心配するフランツをよそに、次から次へと場所を変えるエリザベート。
展開自体はシリアスですが、フランツ・エリザベート・ルキーニがテンポよく交互に入れ替わり立ち代わり登場するので、見ごたえあるミュージカルらしいシーンです。
彼女の侍女たちの「皇后さまはひと時も休まず歩き続けられる」「一日に八時間も、付いていくだけで身が持たない」という歌詞の通り、一日中とにかく移動しまくっている様子。正気の沙汰じゃありませんね。
エリザベートの放浪の旅は18年間にも及びました。やれやれ。
パパみたいに(リプライズ)
旅の末にエリザベートが辿り着いた場所はギリシャにあるコルフ島。ここに別荘を建て、外界から完全にシャットアウトされた生活を送るようになります。
ユダヤ人の詩人ハインリヒ・ハイネに傾倒するようになったエリザベートは、この別荘に引きこもり詩作に打ち込むようになります。ユダヤ人であるがゆえに、生涯にわたってどこの国にも馴染めなかったハイネに対して親近感を抱いていたのでしょう。
ある夜、エリザベートはコルフ島で詩を書いていました。すると、ふと親しい人の魂の気配を感じます。既に亡くなったエリザベートの父マックスでした。
パパみたいに自由に行きたかった。だがそれももう叶わぬ夢。嘆くエリザベートに向かってマックスの幻影は「アデュー、シシィ」と言葉を残し、消えてしまいます。
豆知識
ハイネが死去した1856年時点では、エリザベートはまだ19歳です。つまりハイネに傾倒していた晩年の時点では、ハイネは既にこの世を去っています。
父と息子
場面は宮廷に戻ります。ここで青年ルドルフがオープニングぶりに登場します。父フランツと息子ルドルフが政治に対する意見の食い違いで対立するシーンです。
豆知識
皇太子の教育係は従来であれば聖職者や貴族などの特権階級のみに任せられた業務でした。しかしルドルフの教育係は出身や地位ではなく能力で選定された市民だったのです。そのためルドルフは幸か不幸か、母エリザベートと同じく従来の君主制に縛られない自由な発想と主義を持つようになったのです。
憎しみ (HASS!)
父フランツに対して「よく見てください!」と叫ぶルドルフから、舞台は真っ赤に暗転。厳ついタイトルの「憎しみ(HASS)」が突如始まります。
戦争を予感させるような高圧的なリズムと軍隊のように動き回る不気味なアンサンブルによるナンバー。不協和音のような独特のメロディは観客の不安と緊張感を高めます。
複数の民族で構成されている他民族国家であったオーストリアの中で新たな勢力が台頭してきます。それがファシズムでした。
詞にも登場するドイツ民族学者シェネラーを中心とし、ウィーンではドイツ人が自分たちの優位性を求める声が次第に強まっていきます。その中でも、経済的優位性のあったユダヤ人が迫害の対象となります。
シェネラーの思想はアドルフ・ヒトラーにも深く影響したと言われています。反ユダヤ主義を掲げ、ユダヤ人を徹底的に排除しようと民衆を扇動します。
当時のウィーンはヨーロッパ随一の反ユダヤ主義が蔓延る都市だったのです。ウィーンの人々はユダヤ人の詩人であるハイネを崇拝するエリザベートも敵意を向けました。
ミュージカルとは思えない程重苦しく激しいナンバーです。そのため、この「憎しみ(HASS!)」が何故このミュージカルに挿入されているのかを疑問視する人も少なくないでしょう。
しかし、筆者は『エリザベート』という作品を語るうえで絶対に無くてはならないワンシーンだと考えています。
このシーンがあることで、当時のオーストリア国内外の政治情勢や民衆の緊迫感が急激に高まっている時代だということにリアリティが生まれます。
また、ルドルフにスポットが当たりがちなシーンではありますが、この場面で民衆が露わにするエリザベートへの憎悪があるからこそ、彼女が国民からも愛されず真に孤独であったことが露見するのです。
豆知識
宝塚版ではこのシーンはカットされています。
ちなみに筆者はこの曲めちゃくちゃ苦手なんですよ・・・CDで聴いているとこの曲だけスキップしてしまいます。
楽曲としてハイクオリティだと思いますし、迫力と殺気はさすがです。でもダメなんです、細胞が拒否する不気味なメロディというか。もうとにかく怖いんですよ。
闇が広がる(リプライズ)
帝国内での民族の対立から、帝国の崩壊を危惧するルドルフ。そんな彼に対して「立ち上がれよ!王座に座るんだ」と鼓舞するトートのナンバーです。
『エリザベート』を観たことがない人でも知っている可能性の高い有名な曲です。最近はテレビでもたまに歌唱されますよね。
暗く影を落とすような音色から静かに始まり、やがてクライマックスに向かって急上昇するような激動の一曲です。決してアップテンポでもないしダンスナンバーでもないのに、とにかく高揚感が圧倒的なんですよね。
筆者としては、この「闇が広がる」はミュージカル界でもトップレベルの人気とクオリティを誇る楽曲のひとつであると思っています。
独立運動
皇太子ルドルフが描いた理想はドナウ連邦の実現。オーストリア帝国の他民族がそれぞれ平等な権利を持ち、オーストリア、ハンガリー、チェコ、スロバキアなどの国が対等な関係を持つことを目指しました。
つまり、ハプスブルクが統治する帝国ではなく各民族が平等に共存する連邦の実全です。
しかし、従来の君主制を信じる父フランツとは決定的に対立し、民主主義派からも完全に敵視されることになります。結果的にルドルフが率いた独立運動は失敗に終わります。
豆知識
ハンガリーは日本と同じく氏名の順番は姓+名。つまりエルマー・バチャーニという名乗り方は本来のハンガリー流ではないのです。
僕はママの鏡だから
憔悴しきったルドルフは自分と同じ自由主義思想を持つはずの母エリザベートに助けを求めます。父フランツを説得してほしい、帝国の滅亡を救えるのはママだけだ!と訴えるも、無反応のエリザベート。
「鎖は断ち切られた。陛下には頼めない。あなたのためだとしても」と暖簾に腕押しの状態。
父と対立し、母にも見捨てられたルドルフ。絶望した彼はマイヤーリンクという土地へ向かいます。
マイヤーリンク
絶望したルドルフの前に現れたのはトート。ルドルフはトートの死の接吻を受け入れ、拳銃で自らの頭を打ちぬいて自殺。「マイヤーリンク」というナンバーは死へと誘惑するトートとルドルフにより情熱的なダンスナンバーです。
この一連の場面は『エリザベート』全編を通して、最も緊張感の高まるシーンの一つかもしれません。
このシーンは主要人物の自殺という決定的な展開にもか関わらず、セリフがないという特徴があります。これがまた良いんだ。
トートにとってルドルフは愛するエリザベートの息子であり、ある意味では幼い頃からずっと見守ってきた存在でもあります。また、ひとりぼっちだったルドルフにとってもトートからのスキンシップに何かしらの愛情を感じていたかもしれません。
そんな二人にはもはや言葉などいらない。お互いの目を見つめ合えば、相手が意図していることが伝わってくる。なんだか、そんなことを示唆するようなシーンだと思うのです。
豆知識
史実では皇太子ルドルフはマイヤーリンク地方の狩猟館にてマリー・ヴェッツェラという娘と心中を果たしています。実際のルドルフが自殺した理由は未だ解明されておらず、真相は闇の中です。検死の結果、ルドルフはマリーの死後数時間経った後に亡くなったことだけは明らかになっているようです。
死の嘆き
ルドルフの葬儀に参列するエリザベートは、息子の想いを理解してあげられなかった過去の自分を悔やみ、絶望の淵に落ちてしまう。ルドルフの棺を抱きしめるように泣き崩れる彼女の前にトートの姿が。
トートが息子の命を奪ったのだと察したエリザベートは、憎むべき相手であるにも関わらず殺してくれと哀願します。
夜のボート
エリザベートが暗殺される3年前の1895年の夜、マルタン岬でエリザベートとフランツは再会します。
様々な不幸が夫婦を襲ったけれども、それでも私はずっと君を愛しているよと伝えるフランツ。しかしエリザベートは、頑なにフランツを拒否します。
私たちは同じボートには乗っていない。お互い違う隻に乗っていて、ボートが近づくことはあっても辿り着くゴールは別々の場所なのだ。今後も夫婦として相容れることはもう二度とないのだ、と告げるエリザベート。
息子の自殺後、再び放浪の旅に出たエリザベート。ルドルフの死後は生涯喪服を着て過ごしたと言われています。老いた顔を隠すように、顔は常に扇で覆われていました。
ナポレオンの妻ウジェニーは晩年の彼女の姿を「まるで幽霊のように別世界を漂っているようだ」と述懐しています。
晩年のエリザベートはパパラッチに写真を撮られることを徹底的に嫌いました。そのため、晩年の彼女の容貌は謎に包まれており、そのミステリアスな魅力が彼女を伝説的な存在とする理由のひとつなのです。
豆知識
エリザベートの死後もフランツは彼女への愛を生涯絶やすことはありませんでした。皇帝の側近の記録によると、執務中にしばしば彼女を写真を見つめながら物思いにふけっている様子が見られたそうです。
悪夢
妻エリザベートと再会したフランツはその夜、悪夢を見ます。皇帝の近親者が次から次へと不幸に見舞われ、ついにフランツはチトートと対峙します。600年間にわたるハプルブルク家の亡霊たちが無能な皇帝フランツを取り囲むように彼を責めます。
出演者総出演の「全ての不幸はここに始まった。ハプスブルクの栄光が終わる。お前だけ知らぬ帝国の滅亡」の大合唱は超大迫力です!まさにこの物語はクライマックスを迎えようとしています。このシーンでフランツとトートは初めて対面します。
豆知識
自身の近親者が次々と精神疾患を発症し不幸に見舞われるエリザベートは、いつか自分も発狂するのではないかと不安に苛まれていたそうです。エリザベート自身も占い師から「ベッドでは死ねない」と宣告されていたんだとか。
愛のテーマ
トートはルキーニに研いだヤスリを渡し、ついにエリザベートを刺殺します。レマン湖のほとりで蒸気船の乗り場に向かう道中のエリザベートをすれ違いざまに暗殺。
侍女のスターレイ伯爵夫人の叫び声が響きわたる中、エリザベートは暗闇の中で再び目覚めます。身に付けていた喪服を脱ぎ去り純白の姿になった彼女を迎えに来たのは、まさに死=トート。
沈む世界に別れを告げて、心の底から安寧を感じられる場所へ連れて行ってと願うエリザベートはトートと口づけを交わし、永遠の旅に向かうのでした。
物語のラストには首を吊るルキーニの姿が。ニヒルな表情を浮かべる彼を見送って『エリザベート』は終結します。
豆知識
ミュージカルでは刺されたその場で絶命しますが、実際はヤスリがあまりにも細く尖っていたため、刺されたことに気づかずそのまま船に乗り込んでいます。エリザベートはジュネーヴで死亡したため、死後はスイスの法律に従って解剖されてしまいました。
CD
日本人キャスト
東宝版は東宝モールという専用のネットショップで販売されています。東宝版『エリザベート』のCDはこの東宝モールや、劇場売店で購入できます。
ちなみに宝塚歌劇版はAmazonや楽天でも販売されています。
岡幸二郎さんのアルバムでは、岡トート×山崎育三郎ルドルフの組み合わせの「闇が広がる」が楽しめます。ちなみに同アルバムで岡さんシシィによる「私だけに」、岡さん×和音美桜さんによる「夜のボート」も収録されています。
和音さんによる晩年のエリザベートの繊細で気品あふれるお芝居と歌唱が本当に素晴らしいので、ぜひぜひぜひ聴いてほしい!!
筆者は和音さんのエリザベートをずっと熱望しているのですが、なかなか実現しませんでした・・・
城田優さんのアルバムでは、ラミントート×城田ルドルフの組み合わせによる「闇が広がる」が収録されています。城田さんは過去にトートを演じたことがありますが、CDではルドルフとして歌唱。
海外キャスト
海外キャストはやはりウィーンオリジナル版がオススメ。同じ楽曲といえどドイツ語の響きで聴くと、また違う景色が見えてきます。
DVD
東宝版はCDと同じく東宝モールという専用のネットショップや劇場売店などで販売されています。Amazonや楽天では公式的には販売されていません。
宝塚版はAmazon・楽天でも販売されています。しかもBlu-ray版もあります。やっぱり美麗な映像で見たいですよね。